勧善懲悪

色々

正義の味方はいつも怒っている。しかめっ面して悪を成敗する。
でも悪魔はいつも不敵な笑いを浮かべている。悪のほうが楽しそうだ。

正義を振りかざすととても苦しそうに見える。なぜなら世の中から悪は根絶できないからだ。
また一つ悪を成敗したとしても、また新たな悪は降って湧いてくる。
正義の使者は終わりのない戦いへと誘われる。

いいか悪いかは時代背景によってコロコロ変わる。正しいか間違ってるかは単なる架空の観念でしかない。
そもそも現実と受け止めているものの見方に絶対値はあるようで怪しい。

そこで折り合いをつけて楽しく生きるためにある程度の線引をする。その境界線ははっきりくっきりさせるほどなぜか苦しくなる。
他人に迷惑をかけることは悪と定義しても、そこにグレーゾーンがあるから量刑ではかる。それが現代社会のルールになっている。
誰しも勘違いや過ちは起こる。そうした中で一定のルールを決めてそこで裁かれるのである。

そこにあるのは最大多数の最大幸福という快楽計算がベースになっている。多くの人の同意を得て運用されるが、それもまた「絶対」であるものさしは揺らいでしまう。
悪を徹底的にやっつけて、怒りの感情さえ生まれて、憎らしくて消し去ろうとするその衝動は何を変え、何を生み出すのか。そう思っている心と外側から対峙して反芻するのも時には必要だろう。
集団ヒステリーの中に身をおいて、やっつけることに加担しても本当に大丈夫なのか。そのチェックができるサブシステムを自ら持とう。

さて、それを踏まえてどう生きるのか。常に問われているのが人生かもしれない。
正義の味方は今日も悪を懲らしめる。その後の一杯が今日もうまい。

だって俺は正義なんだもの。そう正義だと思う。ん?