変幻自在の名役者
人はいくつもの顔を使い分けて生きているってよく言われるね。そう、みんな名役者なんだ。けれどちょっと疲れてしまう役もあるからそんなときは役を変えちゃえばいいと思うの。生きている間ずっと誰かを演じてきた名人なんだからそれぐらいはお茶の子さいさいだよね。きっと。
壊れかけの冷蔵庫
いろんなモノに囲まれて、それが当たり前の生活になっているんだけど、失った時に初めてそのありがたさを感じるね。失った時にしか感じることができない暮らしよりも、小さなありがとうをいつも感じられたらいいのに。でも不幸や不足は大声でまくし立てる目立ちたがりだけど、幸せってやつはおしとやかで控えめなのね。
正しさと同時に生まれるのは
強く信じている正しさが今の現実を作っていることに注意しないとね。もし現実があまりにひどいと感じるときは、強く信じている正しさから一旦離れてみてみることをお勧めするよ。正しいと信じれば信じるほど許せない間違いだらけの現実が現れてしまうからね。正しさはあくまで通過点の一つの角度でみたものに過ぎないかもよ。
蝉の鳴き声
鳥の鳴き声は歌声に聞こえて、虫の鳴き声は単にうるさいと感じる人がいるってね。まぁ好き嫌いもあるけれど。同じ音を聞いてそこに何を感じるかなんていうのは、現実世界をどう見るかってことがそれだけ幅があるんだなぁ。だからどう見るかでいろんなことがステキになったり忌み嫌うことになったりするんだよ。なら楽しく見える方向で見よう。
何食べてるの?
美味しいものってどこにあるんだろうね。それを求めて旅に出たりするけれど。美味しいっていう味があるわけでもないしね。どうせ食べるなら美味しいものってみんな言うから、ちょっと調べたりするんだけど、そもそも美味しいってどうしたら感じられるのだろうね。
あう、あわない
あわない考えに驚き、そんなひどいやつ許せないとなるのはどうしてだろうね。手っ取り早く攻撃して消し去ってしまおうとするのは、そいつがひどいからではなくて、自分がひどい場所から見ているからだよ。
言葉遊び
言葉は事実を厳格に表しているという勘違いは、物事をよく見なくする魔法にかかるようなものだから注意しないとね。言葉は厳格に定義することは無理なんじゃないかな。絶えず変化し循環している流れを捕まえるのが難しいように。諸行無常の世の中だもの。ま、これも言葉だけどね。
すべてお見通しのトロッコ問題
お年寄りの命と若者の命を比べさせる社会には気をつけた方がいいね。分け隔てない状況っていうのは、三人称ではなくて二人称。たまたま目の前の人の手を引いてあげられるということだけ。それ以外は妄想に過ぎない。すべてお見通しの神様目線はどこにもないよね。
みんなが笑ってる
最近になってちょっと気づいてきたことなんだけど、「みんな」って実はどこにもいないんじゃないかなって。もしいたとしても、数えてみると思ってたより少ないんじゃないかなと。ああ、このことは「みんな」には内緒にしていてね。