不安と趣味

日々

置かれた場所

いろんな境遇に出会ってきた。それは恵まれた状況で幸せに感じていたときもあれば、何をやってもうまくいかずもうやることなすことが裏目裏目に出て塞ぎ込んでいたときもあったね。でも面白いことに将来への漠然とした不安はどんな状況でもなくなることはなかった。すなわち、いいとか悪いとかその場その場で勝手に名付けていたけれども、どうであっても不安は消えないということだね。その原因はどこにあるのかはもうすでに気がついているだろう。それはあなたが今そこにいなかったということがすべてだね。例えばせっかく心地よく感じているのに、ちょっとそれがこの先も続くのだろうかと疑念を抱いたときに不安は現れるわけだ。あなたが良いと思っているときもそれだから、そうでないのはなおさらだろう。結局のところ不安の正体はわからないことを考え始めた瞬間に生まれるわけで、それをわざわざ引き起こしているのはあなた自身であるのは間違いないね。

楽観視

だから、いつも先のことは考えないようにしようと楽観的に過ごそうと思う。でもこれがまた曲者で、楽観的にならなきゃいけないと思うこと自体がますますそうではないあなたが顔を出すわけだ。本当の意味で楽観的に過ごすためには、もはやそうしようとも思っていない状況でしかない。だから不安を消そうとすればするほど不安がどんどん強くなっていくわけだ。だから本来の楽観的に過ごすという状況から気がつけばどんどん遠ざかってしまう。そうではなく、それすらも忘れるぐらいの他の何かを受け入れることが必要となる。幸せとか不幸とかを超越した忙しさや、夢中になってやるなにかがそれを代替する。忙しくするのは何も体調を犠牲にしてまで働くとかいうことではないから注意しないといけないね。それもあべこべだし、わざと忙しくすればするほど不安になってしまうだろう。

不安と対峙する

となると、不安を隠そうとしたり、それを消すために何かをしようとすることはすべて逆効果ということだ。そうではなく、不安の正体をじっくり真正面から対峙して、しゃぶり尽くしてやろうぐらいでちょうどいいわけだ。逃げるなと言われるとそんな不安と向かい合えと言われているみたいで余計に辛い思いをしなければならないと恐れてしまうかもしれない。でもそれは違って、不安はそもそもわからない何かを掴もうとしているあなたから生まれているのだから、それをあなたが気がついてやめられないとしても仕組みを理解するだけで低減できるということだ。考えてもわからないことばかりを考えるクセがあなたにはあって、それは今すぐにやめられないけれども、そうやってできる副産物が不安の正体だ。なら、考えてもわからないことを考えるのはそのままであっても、それは誰にもわからないことを楽しんでいる一種の趣味であって、その不安はあなたの趣味によって生じる副産物だと気がつけば、不安は解消されなくても不安と友達にはなれるかもしれないね。