ピンチはチャンス
リズム
毎日の活動の中で、すでにルーティンになっている部分にあなたは気づいているだろう。朝目覚めて、顔を洗って身支度をして家を出る。いつもと同じ時刻の電車でいつもと同じ道を歩き、会社や学校へ向かっている。もっと細かく言えば、毎日は同じではないけれども、一定の順序もそこに存在しているね。それはあなたがそういうふうに繰り返し行うことで洗練化した手順となっている。もちろんそれ以外のやり方もいくつかできることも知っている。少し遅く起きてしまった場合は、通常のルーティンから省略できることや短縮できることをすぐさま洗い出せるし、それを実行することさえできるだろう。そうやってなんとか同じ時刻の電車やバスに乗れさえすれば、いつものように過ごすことができるね。そんなときにあなたの中では新発見が生まれることが多い。よく考えてみれば慣習化していることでさえ、それは本当に必要なのか、やらなければどうなるのか、そういうことの検証となるからね。
無意識
どんどんそういう気付きによって省力化され洗練化されたのが今の手順だろう。もうこれが最適解だと特に意識しているわけではなく、ぼんやりともっと楽にできる方法があればいいな、ぐらいの希望はそこに残ったままだ。しかしながら、それはそれで特に難しいことでもなく、かといって無駄だらけで疲れることもないのでそのままになっているのがほとんどだろう。しかし稀に起こる予期せぬトラブルによって緊急事態が発令されれば、そうやって改めてこれまでの手順を抜本的に見直す機会が訪れるわけだ。そこで最低限必要なこととやむを得ず省略しなければならない状況下において、やらなくても大きな問題がないことを発見したとき、あなたの固定観念にヒビが入る。気づきの仕組みとはまさにそういうものだね。なんとなく日常的にやっているからそうなんだという思い込みを維持できなくなったとき、あなたはそれをフルパワーで再構築することで次の扉が開かれるわけだ。
カイゼン
ほとんどの場合、あなたはなんとなく生きている時間を過ごしている。こういうものだと一度決まってしまえば、それを意図的に変えることはそう簡単ではないだろう。ある意味あなた自身を生きているというよりも、あなたがまわりの状況や環境に生かされているといってもいいね。本当はやりたくないことであっても、そうせざるを得ないとあなたが決めている。もちろんそうやって決めたことすら忘れている事が多い。常にカイゼンするのが困難なのはそういうあなたの省力化が無意識に働いているからだ。あなたがベストとまでは言い切れなくてもベターだと思っているあらゆることを総点検する機会がトラブルだね。厄介事やトラブルが不意に起こるとき、あなたにそのチャンスが巡ってきたと言い換えることもできる。普段とは違う行動を余儀なくなれたとき、あなたは文句を言うだけなのか、絶好の機会だと喜ぶのかの違いはそれに気づいているかどうかだけの差でしかないね。