無駄骨を愛する

日々

遠回り

どうせ人生苦ばかりだと思ったら、もっと楽しみながらあえて遠回りをしてみることをおすすめするよ。わざわざ最短距離を避けることで、いろんな手間が増えることにもなりかねないだろう。今やらなければならないことが少しばかり遠回りすることで、余計なコストがかかるかもしれない。でもそれでいいんだ。そうすることで、あなたがいつも見逃している何かを手にすることができる唯一の方法だからだ。普段から面倒でなんとなく閉塞感を抱いているのは、結論から言えば圧倒的な情報不足が原因なんだ。全く関係のないことだと思って、きちんとそれらを分析することをしないままでは物事の本質からはどんどん遠ざかっていく。あなたはコスパとか無駄を極端に嫌うがあまりに、物事の関係性を無意識的にぶった切ってしまっているからだ。すべてのものには理由があり、その背景には複雑な関係性を持っている。そもそもあなたが嫌うその無駄の正体が実は人生の本質だとしたら、あなたはずっとそれを蔑ろにしてきたが故に不満足な人生がそこにあるわけだ。

道中

旅の醍醐味は目的地に到着することではないということだ。もちろんどこに向かうかという目標がないと動きようがないので、その設定は無意味ではない。けれどもそこに到着したら旅は終了だと思うことは浅はかなことだとわかるだろう。そこに至るまでの準備の段階から、実は旅は始まっている。もっと言えば、そこに行きたいと思うまでのなんともない暮らしでさえ、旅の始まりだと言ってもいいね。たまたまとか偶然に気乗りしないまま、友人に誘われたから仕方なくついていくという状況であっても、なぜあなたの眼の前にそれが現れたのかということの分析をしてみれば、すぐにその意味がわかるだろう。しかもそんな話がこれまでもいくつかあって、それが実現できたものもあれば、いつの間にかそんな話も立ち消えになったものもある。なんとなく決まったそれらは、実は偶然という分類をしてしまうのはもったいないわけだよ。

条件

気乗りしないことも、大歓迎なことも、そうやってあなたの前になぜか現れては消えていくことを繰り返してきた。それらのうち実際にそうなったこともあれば、そうならなかったこともある。あなたが望んだ方向ではなかったとしても、そこに行くことができたり、あなたが待ち望んだことであっても思っていたのと違ったりしてきたね。それらは一体なぜわざわざあなたの前に現れたのだろう。すべてのことが奇跡だと思えるぐらいの条件が揃ったときだけなにかが実現できた。あなたはそういう風には全く思ってもいないね。そこに自然の流れとの乖離があるわけだ。だからいろんなことを一旦はすべて受け入れるようにすれば、あなたは自然の流れとどんどん近づくことができるわけだ。来るものは拒まず、去るものは追わずでちょうどいい。ちょっと寄り道がしたくなったら、すぐさまそれをやってみればいい。ああ、やっぱり無駄だったと思うことがすべてが順調だという証拠でもあると言っていいわけだ。