もがき続けた先に
あなたができること
あなたができることは実は思っているよりも少ないというのが本当のところだろう。あなたが舵を切って人生を切り開いていこうとしても、いろんな状況においてうまくいかなかったり、思い切って行動してみたところで、ことごとく進まなかったりする。なら何もできないのかというとそうではないね。多くは望めないのは仕方がないとしても、それらがきっかけになることはできる。例えばうまくいかなかったということを追体験しているという視点を持てば、ああ、やっぱりそうかという体得が得られているし、それをやったという事実があなたをより豊かな経験を積んでいるとも言える。頭で考えただけの世界が実際にもその通りだとしても、それらによる深い納得が得られるし、うまくいかないことを内省してみればその中でもやってみるまでは気が付かなかった知見をきちんと得られているはずだ。それこそがあなたができることの唯一無二なことだ言ってもいいだろう。
仮説
そうやってうまくいくとかいかないとかを超えられたらすでにあなたが生まれ変わっているのと同じだね。どうせダメだろうと半ば投げやりになってやったことが、大きな糧となって返ってくる。思っていた通りとは言えないまでも、失敗は成功のためのステップでしかないと気がつくことができるからね。失敗とか成功とかも超越した経験やプロセスが与えられたということ自体が、この世の本質に触れている。それは単にそれまでの頭でっかちなあなたへの回答がそこに凝縮されているからだ。単に思っていたのと違うからと言って切り捨ててしまうようなレベルの知識をどれほど組み合わせてみたところで、そこで得られる仮説はとても狭い世界に閉じ込められたものでしかない。ところが少しずつそれらのベースとなる経験が、次の仮説のデータベースとなっていくがゆえに、単なる仮説もアップデートしていくわけだ。
動き続ける
あなたはそうしてとにかくやってみるということを繰り返すしかないことに気づくと、世界が一変するのはそういうことだね。もちろんほとんどがやらなくても予見できたことばかりかもしれない。けれどもやってみたからこそ得られたノウハウや新しい視座がきちんとあなたに付加されている。一見なにもかわってない、相変わらずの日常だと思っているそれらが知らぬ間に全く違う世界へと移動しているとも言える。そうすることで、気がつけば単なる個人的な感情論から少しずつ脱却して、メタ認知的な視点が備わってくる。そうするとこれまで悩まされていた問題がもはや問題ではなくなっている。成功だの失敗だの大騒ぎしていたこともある意味懐かしく思えるだろうし、どうせやっても無駄だと決めつけていたことがどれほど小さな窓から除いていただけの勘違いかもわかるようになる。それらもすべてまずは数少ないあなたができることをやり続けることで得られるんだ。