正義の正体
時間とお金
認知の歪によって生まれたのが時間だとか言われる。難しいことはよくわからないだろうけれども、時間とは生まれ持ったそれとは違った社会の潤滑のための概念の一つでしかない。この国の人達は時間をきっちり守ることに心血を注いでいる。けれども彼の国へ行けばとてもルーズなことにあなたは驚くわけだ。だいたいの区切りでもそれなりに社会は成立するということを知らなかったからだね。もちろん、1分1秒で何かを決めなければならない仕組みがあるかどうかでそれは決まるわけだ。けれども、それを必要としない暮らしもまた存在しているわけだね。スマホの時間を気にして生活することが当然ではないという事実を知ったとき、あなたの扉はまた一つ開くわけだ。お金というのも概念でしかない。皆がそれが価値があると信じているからこそそれが有効で重要事項となる。お金は大切だという常識さえどこでも人類共通ではないことにふれるとあなたにとってはまたこれも驚愕の事実だろう。
思いやりと共感
一方で他者を思いやる気持ちは尊いことだと思っている。けれどもそれも社会の仕組み上の一つの概念でしかない。すなわち事実や実態があるものではなく、実際に触ることができる物体でもないわけだ。皆が仲良くとか平和とかそういうものは、いかんとも反論しにくいものとしてあなたの心の奥底に鎮座している。そうはいっても競争社会でサバイバルゲームに参加するには、多少の犠牲も必要悪だとして封印しようとしているけれども、そのカルマがあなたの心に蓄積していくわけだ。そういった思考体系も後天的に学習した内容であって、野生の動物を注意深く観察してみるとあなたはなんとも言えない気持ちになるのはそのせいだ。他者を裏切ったり欺いたりすることは、本来やりたいことかと問われると、サイコパス気味でなければどこか罪の意識を感じてしまう。それらがあまりに強くなってしまうと、副作用が大きくなり共感が憎悪や嫉妬と化していくわけだね。そうなるのも良いこと悪いことの構造はコインの裏表と同じだからだね。
作用反作用
物理的にもそれが証明されている。良かれと思ってやればやるほどそれが失敗すれば恨みつらみに変わってしまうわけだ。まさに作用反作用の法則の如くね。あなたがやった分、誰かに影響を及ぼして同じ分だけ返ってくるようにできている。これは実際にモノを動かしてみれば体験できることだ。概念は抽象化した実際には存在しない思考だけれども、おそらくはそういった自然界の物理法則から類推されたものであることもそこで気がつくわけだ。概念そのものを議論したところで、概念はそれを超えられないという制約から、結論が出るものではない。けれどもそれを完全に無視することができない強力な制御装置として働いているのも事実だろう。あなたはその先に何があるかを知らないまま、それらに振り回されてしまうわけだね。その集大成というか集合体があなたの正義というものだ。正義の正体は実は物理法則から勝手に類推したありもしない幻であるわけだ。だからかなり慎重に取り扱わないと作用反作用の法則によって反動もかなり大きいから注意しないとね。