鎧の中は空っぽ
鎧
あなたはいつも鎧を身にまとっている。学歴や経歴やキャリアなどがそれだ。それは誰からもあなたがどういう人であるのかを知らせる道具としてであり、それを顕示することで足元を救われないようにするためだ。いわばどんなポジションでどんな能力が備わっているかをシンプルに表すためであり、いろいろと言葉を尽くしていちいち説明する必要を削減するためだとも言えるね。ところがそれはあなたの本質ではない。どんなに地位や身分が高くてもそうでなくても、一人の人間であり社会を構成するメンバーに過ぎない。となればあなたの肩書や役職は時には邪魔になったりすことも経験しているだろう。いつもちやほやされているのは、あなたの本質からそうなっているわけではなく社会的な利害関係によってそうなっていることもすぐにわかるからだね。そんな表層的な関係性などに真剣に向き合うなんていうのは馬鹿らしいとさえ思っている。では、あなたの本質とやらは一体なんだろう。
愛
それはすべてを包摂した愛という言葉で表すことができる。すなわち現代の社会においてこれほどまでに豊かになったのも、あらゆる役割分担で成立しているからだ。いろんな職業や役割をそれぞれが分担することであなたの選択肢が潤沢に揃っているのがそれだ。経済学的には高度な分業制度によってそれは成り立っているともいいかえることができる。それらがもし失われてしまったら、あなたはすべてを自らで生み出さないとならなくなる。どれだけあなたが優秀であったとしても、そこには限界が生じるのは明白だ。なぜならあなたは身分や役職によって豊かさを享受できるのも、彼らがあなた以外のことをすべて引き受けてくれているからであり、あなたがどれだけ頑張ったところで鉛筆や消しゴム一つ作ることすらできないのと同じだね。それらを手にするためのお金は十分にもっているとしても、それらを得るための生産手段までを一からすべて揃えるなんていうのは現実的ではない。
感謝
あなたが勘違いしている豊かさは、それらを引き受けてくれている人たちの支えによってでしか成立しない。どれだけ富と名声を得ようとも、あなたの代わりに必要なものを生産し、あなたに必要なサービスを提供してくれている人たちの功績がなければ成立しない。そもそも役職も名声も富も誰かがそれを支えてくれることによってしか成り立たないことがわかるだろう。仮にあなたがそれほどまでの地位や富がないとしても、それなりの支援がなければ今の暮らしさえ続けることができない。となれば、あなたは表面的な肩書で人を判断してしまいがちだけれども、その奥底にある本質で言えばありがとうという感謝しかなくなるだろう。さらに言えば表層的な立場や肩書なんていうのもなんの意味もないことも気がつくね。それらは本当の意味での仮の姿であって、それはドラマでの役割でしかない。そのドラマが終わればあなたは誰にもどることができるだろう。おそらくはその元のあなたさえどこにもいないことに驚愕するだろうね。