生命の正体
昨日のあなた
あなたは誰かと比較することで、幸せを感じたり不幸になったりしている。なら比較をやめることができれば、幸せも不幸もなくなるわけだ。誰かと競争して、誰かと比べて幸せならともかく不幸を感じているのならそのほうがいいかもしれない。幸せになろうとするとやっぱりなにかと比べなければならないから、不幸から幸せに変えたいと思うとどうしてもこの比較をやめることができないね。そんな簡単な仕組みでさえ、幸せに固執することで不幸をも掴んでしまうという状態に陥っている。なにもないという感覚が現代の言うところの悟りであるわけだけれども、このなにもないという状況をほんの数秒間続けることさえ耐えられない。それがマインドフルネスを導入する理由となっている。あなたの心をまずは静かに落ち着けようとしたところで、いろんな思いが脳を駆け巡ってしまうね。それをやめようとすればするほどそんなことは不可能だとまずは気がつくという練習だろう。
ありのまま
自然と一体になってしまえば、そんな雑念も消え一瞬の静寂が訪れる。しかしながらそれは長くは続かない。なにかをぼんやりと見たとしてもそれが美しいと感じた瞬間に、それに比べてあなたはどうだとかあいつはこうだとかという煩悩が生まれてしまう。そのままとかありのままを受け入れるなんて夢のまた夢だと知るわけだ。あるいはその美しさをいつまでも見つめていたいと思った瞬間に、あなたは良からぬ執着を生み出してしまう。それを記憶にとか、いっそのこといつも見ていたいとか、それごと持って帰りたいと思った瞬間に台無しになってしまうわけだ。そのままでいいというのは、すなわち変化を受け入れるということだ。そうやっていつもいろんな思いが生まれては消えていくわけだから、その美しいと思ったこともそのときの瞬間のことであっていつまでもそれにこだわってはいけない。それはそのままにしておくことができれば、やがてそう思ったことすらも忘れてしまうからね。
スナップショット
現代のカメラではその瞬間を固定化することができる。映像として切り取れるわけだ。そうしてあなたはその瞬間を手に入れることができる。けれどもそれは流れの一部であってすべてではない。だからそれにこだわってしまうと自然の流れからどんどん遠ざかってしまうわけだ。あなたはもう数分前のあなたではない。呼吸をして新陳代謝をしているわけだから、あなたを形作っている細胞でさえターンオーバーしているし、血液や体液も常に循環している。それそのものが生命活動であってそれを一瞬たりとも止めることはできない。あなたの周りも同じことなんだから、記憶や記録という過去のデータは常に書き換わってしまうわけだ。それがあなたの正体だと知るとき、今なにかを感じたり思ったりしたことも、すべては幻だと言ってもいいね。あなたはずっと同じあなたがいるという概念でできているけれども、実際はそんなあなたはどこにもいない。あなたの正体は変化し続けている生命そのものなんだからね。