期待と失望

日々

期待

なにかを期待していると、それが裏切られたときに不幸になる。ならば期待など持たないようにすれば、その思いは避けられる。期待は将来の展望としてどちらかといえば前向きで明るく、良いことだと思っているかもしれない。けれどもそれがあなたに向けられた瞬間にあなたはその重荷を背負うことになる。誰かからの期待はそれほどあなたに大きな影響を与えるわけだ。逆に言えば、あなたも誰かに期待しているとき、同じような重荷を背負わせていることに気がついていない。あなたのためを思って、あなたに期待されたそれらはある意味足かせにさえなるぐらいの影響力を帯びてしまう。やっぱり他者や周りへの期待は控えめにしたほうがいいみたいだね。よく言われるのは親の期待を感じて子どもたちが苦しんでいるような状況だね。もちろんそれに応えようとすることで成長するかもしれない。でもこの場合の成長とは自らの能力を伸ばすというよりも不本意ながらそれをやるという意味合いが強くでる場合があるから気をつけたほうがいいときもある。

失望

結局のところ期待することは失望することを孕んでいるわけだ。こうなったらいいなと思うことが牧歌的に良いことだとされているけれども、時には毒になることもある。それぐらい強力だとも言えるね。大きすぎる期待はかなりの負担と精神的な苦痛を伴うときがある。さらに言えばそれが大きすぎるのかどうかも実は他人からすればわからないわけだ。それらをコントロールできると思っているかもしれないけれども、かなり難しいものだという認識を持ったほうがいい。期待はときにあなたの正義の押し付けとなってしまう場合もあれば、あなたの思いを誰かにぶつけてしまっている場合もある。だからやっぱり大きな失望とセットになっている期待はしないほうが得策だ。自動車を運転するとき周囲の状況に気をつけるみたいに、あなた自身が舵を切るとき、誰かを巻き込んでしまわないかということに細心の注意を払ったほうがいいわけだ。

必要条件

あなたがこうなりたいという期待は、誰かに向けられるものではなくあなた自身にかけられている。ところが下手をするとあなた自身だと思っていたそれらが、だから周りも支援すべきだと思ってはいけないね。結局のところあなただけでそれらは完結せず、どちらかといえばその成功要因が外部的なものがほとんどとなってしまうからだ。例えばいい学校に行くためには、高額な教育費をかけてもらわないといけないとか、いい暮らしをするためには普段からハイレベルな生活を体験させてもらえないとできないとか、そう思ってしまっては本末転倒になる。その期待を叶えるために必要な条件を求めてしまうと、結局のところあなたがどうこうすることよりも周辺環境を揃えてもらわなければいけないことになる。それはもはやあなたの問題ではなくなってしまっている。あらゆる期待は、そういう意味で本来の前向きで明るいものとはいい難くなっていることが多いから注意しないとね。