鬼ごっことあなたごっこ
願うとき
あなたはいつもこうありたい、こうなりたいと思っている。しかしそれらは一向に叶う気配がない。それでも諦めることなくいつかはきっとそうなると信じている。いや正確にはそうなると夢を見ていたいわけだ。その夢は叶わないからいつまでも夢としてあなたに希望の光を届けてくれている。その光は生きる希望として活用したいからだ。だから夢や希望は手放すことなくできれば持ち続けたほうが幸せになれると思い込んでいる。でも気がつけばその夢や希望によって生じる前向きな気持ちの裏側には、同じだけの絶望や不幸が生まれているわけだ。この世の理はそうなっている。なら純粋な世界はどんな風なんだろうと考えたときふと気づいてしまう。もしかしたらなにもない真っ白な世界だけが広がっているんじゃないかとね。そこで形作っているすべては、あなたがそう思って生み出したものばかりだし、あなたが知らないなにかはそもそも生まれようもないからだ。
満腹
焼き肉をたらふく食べたあとに、もう焼き肉はしばらくは食べたくないと思うだろう。でも、その少し前はどうだったか。おそらくは1日中焼き肉を食べたいという気持ちに支配されていたね。満たされた前とあとではまるで別人であったといっても過言ではない。これほどまでに心血を注いで頑張ってきたのだから、もうそろそろ良いことが起こって然るべきだとおもっているのも同じことだ。それを思っているのは他の誰でもなくあなただけだ。あなたが頑張ったと認めている。その逆にあるだろう。まだまだ頑張りが足りないと自分にムチを打っているのは誰か。上司でも仲間でもなくその実質の正体はあなただね。いずれにせよそろそろ認められてもいいだろうと判断するのも、まだまだ修行が足りないと判断するのもほかでもなくあなただ。誰かに言われたこともその要素やきっかけになっていると思っているけれども、最終判断を下している裁判官はいつも間違いなくあなたなんだということに気がついたほうがいいね。
風見鶏
そしてそのあなたは、確固たる変わらぬあなただと信じているけれども、実はまるで別人が入れ替わっているわけだ。それにもかかわらずあなただけがあなたは普遍であると信じ込んでいる。もっと単純に言えばあなたはどこにもいない正体不明な幻なのに、その時々に応じてあなたを都合よく生み出している。だから曖昧でコロコロ変わるのがその正体なんだ。それにもかかわらずあなたはあなたを普遍で永続的な存在として認識し続けることで、実はあなたの世界は認知の歪だらけでできている。そのおかげでいろんな出来事が四六時中発生する。そしてそれらの対応に毎日追われているわけだ。そのほうが真っ白で何も無い本当の世界から目を背けて、なんだかんだいいながら楽しんでいるわけだ。何もないところから、子どもたちが砂場でママゴトをして遊んでいるのと本質的にはなにも変わらないんだ。それは子どもじみた遊びだと馬鹿にしているかもしれないけれども、その頃からずっと変わらずそうなんだよ。