わたしだけを見てよ
いつか来た道
あなたはずっと今を生きている。それこそ小さなトラブルに対応してなんとかなってきたから今がある。それは間違いのない事実だと言っていい。でもこれまでそれで満足できたことはほんの少ししかないかもしれない。あるいはもっとうまくやれたと後悔しているかもしれない。けれども今そういうことを振り返りつつ、お茶を飲んでいたりする。次の瞬間また何か厄介事が起こるかもしれない。けれどもそれらもおそらくはなんとかしてまた明日もお茶を飲んでいるのだろうと思っている。当たり前のことだと思い込んでいるつまらない日常も、実は細かく見てみるといろんなことにきちんと対応しているからこそなんだ。もっと言えばそれすらも思い出せないようなあなたにとってはお茶の子さいさいのトラブルは、もはやなかったことになっている。そうあなたが何らかの形で思い出として認識できるものと、それほどまでもないことがあなたの今の少し前にはたくさんあったわけだ。
努力と評価
あなたがそのすべてを受けいれたとき、すべての厄介事は思い出となっている。しかも思い出にもならない些細なことは忘却の彼方だ。あなたの中での強力な執着が生まれるのはかなりあなたが活躍したり頑張ったりしたことがその原因となっている。だからそこは譲れないと思っているし、それはもっと評価されるべきだと不満を持っている。これだけ頑張ったんだから、それなりの見返りとしての評価を得られるべきだとね。ところがそれも少し冷静になってみれば、それでさえやりのけたわけだから周りから見てみると何も起こっていないように感じられるだろう。もはやあなたは完全無欠の存在としてそこに君臨している。あまりにそれがスマートすぎてそんな苦労さえも伝わらないわけだ。だから、ぜひこれだけは評価してほしいということは、あなたがいつも思っているよりも評価されないということになるわけだ。ならわざと騒ぎ立てて失敗すればいいのかというと、それはそれでその小賢しい打算が見え見えで周りも白けてしまうからやめたほうがいいことも知っているね。
生きている証
そうやって、あなたはできればあなたに注目してもらいたいと願うわけだ。ところがそんなあなたの思いとは逆のことばかりが起こっている。でもそれがいわゆる当たり前ということそのものだね。だからそこにこだわる必要はまったくない。さらにいえばそれで確実にあなたがそこにいるという意義が生まれているから安心していいわけだ。ちょっとわかりにくい表現になってしまうけれども、頑張っている特別な人に思われないということが、一番頑張っているということになる。そしてそれは暗黙の了解としてきちんと機能していることの証でもあるから、誰も評価してくれないと心配しなくてもいいわけだ。むしろ、いつものほほんとしていて羨ましいとか皮肉を言われたなら、それは一番の褒め言葉となる。そこに注意しないと頑張っていると褒められる言葉を求めて、わざわざ演出のために仕込んだ頑張っている感を出してしまうと、やっぱり白けてしまうのはそういうわけだから気をつけたほうがいいね。