謎のあなた

日々

意味づけ

あなたが思う良いことは、あなたが生み出した幻想だとしたらどうだろう。あなたはそんなことはないとすぐさま反論するだろう。それはあなたが生まれる前からそれが社会にとって有益であり、沢山の人々が安心して豊かで幸せに暮らすための手段であり、潤滑に社会が機能するために必要なことだと信じている。でも、その本質は無意味なものばかりだ。それらの関連を説明できたとしても、謎が謎を呼び結局のところ完全に説明できない領域が必ず残ってしまう。例えばあなたの住むこの地球上において、あらゆるものは循環していることは観察して理解することはできる。これは科学と呼ばれて現代ではほとんどの人が信仰しているフレームの一つだね。水は蒸発して雲になり、それがまた雨となって大地に降り注ぐ。それが大海に注ぎ豊かな生命を育んでいる。そういった説明をあなたは理解できるし、それが真実だと思っている。けれども、ならどうしてそうして循環しているのかと問われても、その真意はただただ不思議なことにうまい具合に「そうなっている」としか言いようがないね。

問い

そうしてあなたはどうしたら幸せになれるのかとか、より良い人生を送るためには何が必要なのかということを一生をかけて自ら問いかけ続けているわけだ。それはすべてその関連や周囲の事象を説明することだけはできる。けれどもどうしてそうなっているのかは神のみぞ知る領域に陥ってそこに限界がある。宇宙はなぜ生まれたのか、人類はなぜこうなったのか、流行り病から実を守るためにはどうするか、そんな問いに科学はある程度の説明するロジックは提供してくれている。しかし、そもそもなぜそうなっているかは誰にもわからないわけだ。逆に言えばあなたがそれらを問うことをやめたら、すべては消滅することも知っている。どうしてとか何故とかを考えることそのものがあなたの正体だ。すなわちあなたは実在するなにかではなく、どうしてという謎掛けをすることで出現している。そもそもあなたとは誰なのか、どういう人物なのかという問いからすべてが始まっているわけだ。

悩み

あなたがあなたでなくなってしまうとき、実はその問いかけがうまく機能しなくなったときだと言っていいね。いわゆる痴呆症とかもその類だ。もはや謎かけを続けることが困難になって自らの関係性を維持することができなくなる状態をそう呼ぶわけだ。今どういう理由でそうしているとか、そもそも問いかけが途切れてしまうがゆえにあなたに収斂しなくなっている。それらがあまりにも断片的で連続性や関係性が破壊されてしまっているので、他人からも当の本人でさえ体系だった自我を認識できなくなる。意味づけが破綻しているから予測不能な行動しかできなくなるわけだ。問いがなくなってしまうことで、その謎も支離滅裂になって意味を失った状態そのものだけが残ってしまう。でも生命活動は止まっていない。なぜそうなるのかは脳の仕組みから説明できるかもしれないけれども、だから何と問うてみても謎は謎のままだね。なるほど、そこでそもそも意味がない世界にいるからこそ、あらゆる謎や問いを生み出すことによってすべてが生まれるということをそこで知るわけだね。