予想と構想
思い描く
将来のことを考えると途端に心配になる。この先どうなるのかという得も知れぬ不安で押しつぶされそうになるからだ。今やっていることがなんの役に立つのかとか、この先いいことばかりではないという予見ばかりに覆われてしまう。そう思うからこそ未来予想を求めて、業界分析や売上予測や危機管理などからある程度備えられるのであれば備えたいと考えがちだ。ところがそんなことを全く気にせず、構想をしっかり持つかどうかでその姿勢は大きく変わるわけだ。予測や予想はもはやそこにあなたの意思は存在しない。ところがこうありたいとかこういう未来を生み出したいという、言わば構想であればあなたの意思しかそこにはないね。その違いがわかると、今あなたが未来や将来が気になって不安になっているとすれば、それはあなたがしっかりとしたこうありたいという意思がなくなっているからだとわかるだろう。
過去と未来
そういった漠然とした未来への不安の成分はどこから来ているのかと言うと、よくよく考えてみれば過去の経験や記憶からだね。これまでのうまくいかなかった記憶が今後もそうなるのではないかという類推を生み出している。不思議なことにこれまでうまくいったことは少し弱くなっていて、うまくいかなかったことばかりが思い起こさせる状態だ。もちろん可能性はゼロではないという自覚はあるものの、そう強く思えるほどの自信がなくなっている。やっぱり同じようにうまくいかないのではないか、という結論に偏りすぎているわけだ。それほどまでに不安になるのは、あなたがあなた自身を信頼できていないからだね。成功したと思えていることでさえ、あれはたまたま運が良かったからだとか、状況や環境が手助けをしてくれたからだとか、なぜかあなた以外の要素を頼りにしたということになっている。
あなたらしさ
どうありたいのか、ということを確固たる構想として持つことが、些細な不安を取り除くことができる術だ。さらにいえばあなただけが失敗するとか、あなただけが損をするとか、そういう視点をもっと全体に対して俯瞰できる位置に変えられるかどうかも必要となるね。あなたがそれをやっているわけではなく、自然の流れの一部としてそうなっていることを見れば、不安が付け入る余地はない。それは人間社会においては、必要だからそうなっているとも言える。そこでこんなことをしていて、一体未来は明るいのかという思いがよぎるとしても、未来が明るいかどうかなんてそもそもあなたがどうにかできることではないんだからね。そういう視座から脱却すれば、もはやあなたが心配しなければならないことは何一つ残らないだろう。今あなたが楽しんでできることがあるのならば、迷わずそれをやればいいだけのことだからね。