後悔の取説

日々

選択肢

いくつもの選択肢があなたの眼の前にあったと思っている。けれどもそれは幻想であって、実際には最終的に選んだそれしかなかったわけだ。だからもしあのとき違う道を選んでいたならばと悔やむことも無意味だと知るだろう。あなたにはいろんなバリエーションが用意されていると思っていることが、豊かさに直結する思考だと思っている。けれどもそれは豊かさという幻想を抱きたいと思っているあなたが生み出したものでしかない。かといってそれを否定するのではなく、そういった勘違いでも思えることがあなたに幸せを感じさせるのならばそれでいいわけだ。ただ、幸せに感じられるようにできている幻想の取り扱いを間違えて、いつまでもそれを思い起こすたびに憂鬱になるのならば扱い方を間違っているということだ。だから豊かさを感じられる選択肢はどんどん増やしていけばいい反面、それがあったと勘違いして不幸になるのならば今すぐにそれを手放すほうがいいわけだ。

必然と偶然

そういう意味では偶然そうなったと不思議な思いでいるのはそれでいい。けれども必然的にそうなったが故にとても辛いとおもっているのならばそれは間違っているということだね。要するにそういう出来事によってあなたの人生が感じられるようなしくみになっている。だからあなたにとっては偶然が良き思い出となるならばそのままでいいし、それが辛いのならばすべては必然だけしかないと手放すことになる。なんだか言っていることが矛盾していて、すっきりと受け入れられないだろう。でも実際はそうなんだ。なぜならそれをどう思うかということを司っているのはあなたしかいないからだね。あなたがそれを決めているわけだから、出来ることなら良いことだと思えるほうがいい。そうしてあなたがやりたいと思っていることをどんどんやればいいだけのことであり、それは偶然とか必然とかという問いから離れることができるのだからね。

かもしれない病

それでもあなたは後悔することばかりの人生を送っている。その後悔は先にも述べたようにあなたがそうしているだけのことだ。だからそれを教訓にして固定化された視座を変更するきっかけに使うことができればそれでいいわけなんだ。ところがそれがあまりにも悔しくて忘れることもできず、そこに固執してしまうとさらに良くない状況になるね。それはそれしかなかったと誰かに言われたならば、諦めることもできるだろう。ところがあなたがそれを決めているからこそそんな助言も受け入れられない状況だとすれば、そこから何も得られるものはなくなってしまう。すべてはあなたが選んでそうしてきたという事実と向き合うことができれば、どんなことでも笑って見過ごすことができるようになるというのにね。確実に言えることは、そういうことがあったからこそ今のあなたがそこにいるということだ。これだけはどう思おうともかえられない真実だ。そう、だからこれで良いのだよ。