合わせ鏡に映る世界
頑張り過ぎないこと
どちらかと言えば、真面目にコツコツと最後まで諦めずに取り組む方が好きだし、できればあらゆることにもそうありたい。なんて思っている人が多いんじゃないかな。かく言うわたしも、その方がいいとなんとなく思っている反面、そんなに律儀にきっちりとしすぎるのもどうかなーとも思っている。要するにいいことでも行きすぎると弊害が生まれるよねっていう心配をしているんだ。もちろんそういう選択肢を選ばないといけない状況っていうのは起こるし、今の状況を変えるためには思い切って舵を切らないといけないってのもわかっているつもり。だからと言ってそれ以外は一切認めないと頑なになるのもどうなんだろうね。一番どうかなって思うのは、その時の自分の顔がどう見ても楽しそうに見えないこと。その裏側には、あいつはいつもヘラヘラしやがってと憤る気持ちが見え隠れするね。でも本当はみんなもっと笑っていたいはずなのにね。
しなやかなこと
風向きが変われば、その向きに合わせて姿勢をコロコロ変えるのも必要だと思うよ。どうしても辛い方向が正しいからと言って、絶対自らの強い意思でもって逆風に打ち勝って見せるんだっていうのも、無理が過ぎるともっと大切な何かを壊してしまって失うこともあるからね。首尾一貫、頑固一徹っていうのも、基本姿勢としては認めるけれど、そこに臨機応変に対応できるしなやかさもあればさらによくなると思うけど、違うのかな。矛盾してるとか日和見主義だとか言う人のことは横目に見ておいて、自分の中でのそうする目的というか、最終着地点を見据えていればそんな雑音もそれほど真に受けなくても聞き流せたらさらに良くなるような気がするけど。大抵の最終目的は笑って楽しく過ごすためにだよね。そうして安心に包まれたいってことじゃないかな。はてさて、あなたはどう思う?
どこかに縛り付けること
わたしはこういう思考を持っている。そして一瞬たりともブレない。それが目指すべき生き様だ。なんてどうしてそう思うのかな。たぶん、そう思うには何かきっかけがあったんだろうね。そのきっかけを自分の中で振り返って探してみるのをお勧めするよ。例えば身近にすぐに意見をコロコロ変えて、みっともないなとか思う人がいたとか。でも、その人を見て、自分は絶対そんな軽薄な自分の意見を持たない人が許せないと思ったのはどうしてかな。それを自分自身に深く聞いてみることが一番の要だね。なぜそう思ったの?どうしてそう感じたの?って他人に聞くのではなく、自分の心に聞いてみてよ。そこに、あーなんだ、そういうことか、と安心する何かがきっとあるよ。
鏡の中の自分
そう、今見えていること、思っていること、感じていることは全部何かの裏返し。すべては鏡の中の虚像なんだね。気に入らないことや人やモノは、すべて裏返しになっている。そういうことに気がつくよ。そして、あーなんだ、そういうことか、と安心する。安心すると心が元の自分の中に戻ってくる。そうすると、嵐の中にいたはずなのに、周りが敵だらけだと思っていたこの世界が一変して穏やかな世界に変わるよ。どうしてそう思ったの?なぜそう感じたの?という自分に対する問いかけが世界を一変させるんだよね。だから、鏡の中の虚像に文句言っても、文句言っているひどい顔の自分しか見えない。いますぐ、あーなんだ、そういうことか、と安心したら、ほら、少し笑顔の穏やかな自分の顔が映って見えるよ。ほら、そうすると世界が一瞬で変わったじゃない。しかめっ面している時は、鏡を見てみて。