願いが消える時
不平不満
願いは不満の裏返しだね。いつも幸せでありますように、なんて一見なんの問題もない小さな願いのように見えるけれども、実はその裏側はとても現状に対して不満を述べているのと同じことだね。皆が幸せでありますように、という願いはいつも叶わないわけで、その裏側はいつも人類はどこかで誰かやなにかのために殺伐とした風景を生み出しているということだからね。だから願いはひとつ、本来のあなたを生きられますようにということになる。それぐらいに人々は過去や未来を行ったり来たりで、ちっとも今を生きてはいないということでもある。それは例外なくあなたもそうだろう。そもそも未来は不安を生み出し、過去は恨みや執着を生み出す。なら今にあればいいというシンプルな答えとなるけれども、なかなかそうはいかないのが実際のところだね。だから願いが生まれ、今を呪い続けることを繰り返してしまうわけだ。
夢と希望
だから夢と希望は前向きでどちらかというとネガティブではない性質を帯びてしまっている。過去をくよくよ悩み続けるよりも良いことだと無邪気に感じている。けれどもそこが大きな落とし穴だということまでは気がつくことが少ないわけだ。夢や希望はときに人を強くさせる効能はある。けれどもその裏返しとしてはそれだけ満足いく今を生きてはいないということでもあるね。それに気づけばいつもあなたが思い描いている世界が大きく変わるだろう。あなただけがどうにかなるというものはすべてはあなたの過去から生まれているものだ。でも今を生きると決めたなら、実は夢や希望はそれほどの大きな意味を持たなくなる。もはやあなたらしくとか、自らのこだわりすらも手放してしまえるからだ。色々あるけれども無事に今を過ごしていることだけにフォーカスすれば夢や希望よりも感謝の念で満たされてしまうからね。
融合
そうやって今を生きるということは、言い換えればあなたが消えてなくなるということでもある。そしてそれが何よりも至上の命題であって、夢や希望なんていうものは欲望の裏返しでしかない。いわゆる世の中で成功している人への憧れなんかもそうだし、身近な損得勘定を発動しなければならないこともなくなる。何が良いとか悪いとかも薄まっていくし、なによりもあなたがすべてだと感じる世界には、自他の区別も曖昧になるだろう。すべてがあなたであって、すべてはあなたではないという変な感覚になるだろう。そして、あなたの幸せは皆の幸せであり、皆の幸せもまたあなたの幸せと同一になる。そうなってしまったら個人的な感情がどんどんぼやけていくだろう。そこで何か強く願うことができるのかといえば、今この瞬間があるということが奇跡だという感謝しかなくなる。要するにどうであっても生きているというだけで何の不満もなくなってしまうね。