自他とは

日々

トンネル

あなたの身体はまるでトンネルのように穴があいている。これは生物的にも医学的にも知っていることなんだけれども、あなたの実感としてはお腹の中とか口の中というふうに身体の中だと思っているね。シンプルに言えば口からおしりの穴までは貫通しているわけであって、ここの消化管の壁から栄養分だけを取り入れてエネルギーにしている。だから口の中から肛門までは身体の外側なんだ。だからこそ多くの細菌と共生しているわけだし、それはあくまでも外側であって、良くないものを間違って食べたりすると吐き出したり下したりする機構が備わっているわけだ。あなたの口は外の世界であるといってもいいね。よく言われる話ではあるけれども、あなたの口の中にある唾液にはなんとも思わない。けれども一旦口から吐き出したものはとても汚らしく感じてしまうわけだ。さっきまであなたの口の中にあったというのにね。

エネルギー

生命活動に必要なエネルギーを動物は捕食して生きている。あなたも毎日何かを食べているだろう。それは死ぬまでずっと続くわけだ。それらはあなたの生命活動の源となり、それが満たされる分、あなたが好きなことをやれるようになる。それはサラリーマンでも起業家でも芸術家でも変わらない。生きるために労働をしなければならないのは社会の仕組みがそうなっているからであって、それがなかった時代においても、食べ物をなんとか手にするために活動していたのは間違いない。その活動によってさらにまた食べ物を探すことができる源が補充される。その形式や外観はどんどん変わってきたとしても、その本質である生命活動そのものはやっぱりエネルギーの循環の中にあるわけだ。だから毎日お腹がすくことにうんざりすることもないし、飽きることもほとんどないのが通常だ。現代社会においては肉体的なエネルギー不足というよりも精神的な循環がうまくいかずに、そのバランスとサイクルがうまくいかない人が多くなってきた。

心と身体

いずれにせよ、この世の理がそこにあるわけだ。古来から自然をよく観察していれば大抵のことがわかるのは、あなたもその一部であるからだね。自他の区別が曖昧であった頃の人類は、自然をよく見つめることが自分と向き合うことに等しかった。そしてそれは誰に教わることもなく、本能的に一体化していただろう。それが社会という分業・協業システムを導入するにあたっては、その曖昧な境界線をはっきりさせる必要があった。そこで生まれたのが自他の区別と言ってもいいだろう。それもすぐにはなじまないものであったから、最近までの村社会では相互扶助的な部分が残存していたわけだ。稲を植え、米を作り、それを食べてまた稲を植える。その循環においてはどこからがあなたでどこからが稲でどこからが米かの区別をつけないと、誰の米かが言えなくなる。誰のものという考えも自然ではなくて、不自然の極みだから、記録したり印をつけたりマネされないように複雑にしなければ維持できないわけだ。そして気がつけば不自然の極みに囲まれて今を生きている。だから心が疲れないほうがどうかしているとも言えるね。