二択の罠
切り開く
今年を振り返ってあなたは来年こそはともう未来に向かって妄想し始めている。それは、やり残したことをなんとか解消したいという気持ちが、やりきれなかった今年の後悔として強くあなたに影響を及ぼしているからだろう。それを一般的には後悔と呼んで、できるだけ悔いのない過ごし方が良いとされているね。でもそうやって毎年振り返ると、やりきったという年は稀で、ほとんどがもう少しやれたんじゃないかと思うことが多い。もちろんあなたが頑張っていないとか、サボっているということではなく、今思えばそこはそうじゃなかったんじゃないかと思いがちだ。でもそのときはそれほど手を抜いていたわけでもなく、思考停止していたつもりもなく、それなりにできることをしっかりとやっていたわけだ。だから後から冷静になれば、さらに良い代替案が浮かぶことはやむを得ないね。でもここに次の一手のヒントがあるかもしれない。
二者択一
物事をシンプルにするクセがあって、AプランとBプランのどちらにするかという選択に迫られることが多いだろう。もちろん視座を変えれば二択になるわけではないけれども、そこは複雑になりすぎて決めきれないからだ。複雑に影響を及ぼしている物事において、二択になるまで丁寧に切り離してあなたにとってはどちらがよりベターかという整理をするわけだ。ここに注目するとあなたの未来は大きく変わる可能性が高い。そもそも二択にするための切り離し作業を見直すことと、その二択は選択肢としてそれだけしかないのか、ということだね。例えば一人ひとりに丁寧に接することがそれぞれの個性を磨くためには最適解だからそうするべきだというものと、多くの似通った人を集めてそれらのポイントだけを示唆することで短時間で効率よく伝えることができるというものだ。どちらが良いとか悪いとかをさておいて、個別最適化か全体最適化という大きな命題を対立構造で捉えてしまう。それ以外の選択肢はここでは単純化のためにわざと用意しないわけだ。
モデル化
そうやって純粋に切り出す作業において、実は一番大切な部分が置き去りになっていることが多い。そのそも原理主義的にそうやって切り出したものは現実にはどこにも存在しないということに注意しないといけない。すでに気がついているだろうけれども世の中そうやって白黒はっきりしている事象は存在しないからだ。実際にはそれらが複合的に絡み合って、どちらかというとそうなっているといえるぐらいの程度の差しかない。モデル化や言語化するときに重要な部分が切り離されてしまうことが多いわけだ。そこで二択ではなく選択肢を超えた第三の解が生まれるのが通常だね。さらにその解を単純化することでその対抗の問いが生まれていく。そうやって選択肢は最小限としながらも、螺旋的に思考することで実際の関係性を紐解いていくことが思考実験では常套手段となっている。だから二択の段階でどちらかを思案している段階で決めつけてしまうクセはやめたほうがいいね。