また明日
続く道
これからもこれまでもずっと歩んできただろう。だからいつもあなたは不完全だし道の途中でしかない。ここでもう終わりだと思ったところで、いつもそれ以上のなにかが起こるわけだし、やっとここまでたどり着けたという安堵もいつまでも続くわけではない。一難去ってまた一難という連続の中であなたはそれらをなんなく乗り越えてきた。だから今こうしているわけだ。その繰り返しによってあなたという存在がこの世に存在する意義を見出すわけだ。そればかりが大きくなってしまうと厄介者になるけれども、だからといって消えてなくなるとあなたの生きる醍醐味みたいなものが薄れてしまう。だからあなたはいつも主人公であり続けることができるわけだね。いろんな出来事に対処しているという行為をまるで己のごとく処理できるという意味では、あなたという自我はいつも中心的な役割を果たし、自然の流れの中でのあなたという輪郭を司っているわけだ。
色々
そもそも人生が色々あって、うまくいくこともあればそうでないこともある事自体が奇跡だね。あなたはそれをいわば当然のように思っているけれども、考えてみればそれが人生だと誰から教わったのだろう。うまくいくだけの人生があっても、その逆があってもいいだろうけれども、なかなかそうはいかないのもなぜか納得しているね。それらをすべて踏まえたうえで、あなたは来年こそは良い年でありますように、なんて屈託もなく願ったりもしている。それがいつまで待っても訪れることもないことを知っているというのに。もしくは、それがあなたがどうこうするようなものではなく、ただただ自然の流れでそうなっているようにあなたが見ているだけだとも知っているというのにね。やっぱりすべてを知っているのは、間違いないわけだ。そうやってやっぱり繰り返しの中であなたはかくあるべきだともがいている。そしてそれが何故か心地よく感じているわけだ。
続きは明日
そうやって毎日を終えて、続きを楽しみに過ごすことができる。もちろん憂鬱で寝付けない日々もあるだろうし、疲れてぐっすり眠ってしまう日々もあるだろう。嬉しくなってテンションがバク上がりの毎日もあれば、最悪な気分で誰かに呪いの言葉を叫んでいるときもあるだろう。そうやってその時々の変化を受け入れてまた明日という日が来ることだけを信じている。その信念がずっと続く限りにおいてはあなたはあなたをやっていられるわけだ。あなたが信じるきっといい日はどれぐらい来るだろう。それをいつも楽しみにしていられることに感謝だね。そしてそれが叶うとも叶わくとも明日が来ることだけを強く願っている。それだけでいいわけだし、それ以上は実はなにもないね。そうやってあなたという幻を追いかけていくことが言わば人生と呼ぶほとんどだろう。今日はずっと疲れて寝ていた日だった。明日という日は少し元気に過ごせるかな。そう思いつつまた明日に夢を見て眠りにつくわけだね。