十分に良かった

日々

今年

ちょうど1年という単位は、いろいろとやりたいことをやったり、振り返ったりするのにちょうどいい長さなんだろう。だから1年という単位は一月や一週間よりも充実した区切りとして特別な意味合いを持つようになったわけだね。週末のお出かけを楽しみに平日を頑張っている。それが小さな単位としての区切りだね。それを52回ぐらい繰り返したら1年だ。ちょうどそれぐらいで大きく総括をするのに、手頃というかちょうどいいのだろう。あまりに前ののことだと思い出せないだろうし、あまりに短いとミッションによっては途中で総括しなければならなくなる。1年という単位はそういう意味で人々の暮らしを区切るのに便利な単位とも言える。さて、ちょうど1年前に能登地震が起きて幕開けた2024年はどんな年だったかな。あれからあっという間に1年が過ぎたけれども、一度被災した田舎町はなかなか復旧しようとするには、あらゆる支障を一つ一つ乗り越えていかなければ難しいようだね。

総括

振り返ったところで、なにかが変わるわけでもないし、なにか目標を立ててそれに向けて行動するという決意表明をしたところで、それだけに縛られてしまうとかえって不自由になる。かといって何も決めずにボーっと過ごしてしまえばあっという間に過ぎてしまう。壮大な計画はともかくも、ちょっとした変化やカイゼンを考えるにはちょうどいい単位だとも言える。さて、あなたは来年こそはと思っていることはあるだろうか。とにかく平穏無事に来年も過ごせることが一番ではあるけれども、それだけで満足できないのが人類の共通の悩みだね。ちょっとした昇進だったり、小さな成功だったり、少しばかりの所得増だったりを考えているのかもしれない。または、記念の年として状況を一変させるほどの変革を打って出るつもりなのかもしれない。いずれにせよそれらの成否はあなたのこれまでの段取りでほとんど決まるだろう。そのためにコツコツと積み上げてきたのだろうからね。

良いお年を

何がいいか悪いかとか、この際小難しい話はしない。あなたにとって充実した1年が過ごせますようにとお祈りしたい。それはこれまでがそうでなかったという意味ではなく、これまで以上になればさらに素晴らしい世界が見えるかもしれないというのぞみの架け橋の一つだ。もちろんこれまでに何ら不満はない。このままでも十分に幸せなんだけれども、もしその幅がもう少し残っているのであれば、あなたが幸せというよりもあなた以外の人たちも同時に幸せになれる状況を目指すことができるのならば、ぜひそうありたいという欲望だね。もちろん欲張りであることは、のぞみを託すことで間違いないんだけれども、できることならという贅沢が叶うのならばその方向でお願いしたいということだ。実際それが叶うとかは実はどうでもよくて、もしわがままを言えるのならばという謙虚さもそこに含まれているわけだ。そんなことよりも今日という日をのんびり過ごせていることに満足しているのであれば、実際のところこれ以上何もいらないというのが本音だろう。