すべては無に帰する

日々

寂しさ

寂しさを感じるのは、すべてが刹那であることを心の憶測で知っているからだね。この瞬間を過ごしていいるけれどもそれは幻であることをどこかで感じている。そう、これは幻であって永遠ではあるけれどもいずれ手のひらからこぼれ落ちるものであることには間違いない。そしてその記憶はあなたが生きている一瞬のことであって、あなたがいなくなれば同時になくなってしまうわけだ。だからこそ今を愛おしく思うわけだし、この瞬間を大切にしたいという切実な願いがそうしているわけだ。あなたの眼の前の人はずっと前から同じではなくどんどんと変わっていくわけだし、あなたでさえ以前のあなたのではなくなっている。それを心の深い部分で感じている。だからこその刹那であるわけだし、それはもう二度と訪れないということも同時になぜか知っているわけだ。もちろん、その記憶があったという事実は永遠だけれども、あなたの消滅とともにこれもいずれは無に帰するわけだね。大切にしたいと思う気持ちはそこから生まれているわけだね。

元気

それができる時間も限られている。もちろんあなたもいずれは何もわからない状態になることもね。だから去りゆく人への思いは強くなるわけだけれども、今こうして目を閉じてかつての思い出に浸ることができるのも、今はこうだという現実にしてもすべては消えゆくものであることは間違いない。ただ今のこの瞬間にそれが感じられること自体が貴重であり奇跡でもある。今という時間がこれほど切なく感じられる瞬間があるのは、大自然の掟としてすべてのものが移り変わるということを感じているからだ。そして、あなたもその流れに沿ってやがて消えゆく運命なのだけれども、そのすべてを受けれいる準備を人生を通じてしているからだ。もちろんあなたは未熟でそうなることなんて微塵にもまだ受け入れられないままでいるけれども、それでいいわけだね。そうやってすべては変化してやがて消えゆくとしても、今はこのまま少しでも長く体験できればありがたいと思うことは、言わば自然の流れそのままだとも言えるわけだ。

僅かな希望

このまま時の流れが止まればいいのになんて、ふと思ったりするのは、それが叶わぬ希望だからだね。だからこそあなたにできることは今この瞬間に魂を焦がして生きることだけになる。もちろん少し未来のことに関しては夢や目標を立てたりもできるけれども、ずっと先に関しては誰もわからないままでいる。こんな瞬間をあとどれくらい過ごせるのかと思案したところで、答えは見つかるわけではない。だからこその今なんだ。もし何かしらの躊躇があるならばそれは時間の無駄だろう。そんなことを考えている暇があれば、精一杯できる限りの今を生きるほうが結局のところ後悔が少ない人生となる。それを邪魔するのはあなたのちっぽけな自我が邪魔しているだけのことだ。今日という日を楽しめたならばそれだけで成功であり、それだけで何一つの心配もない。したがって不安や不幸はそもそもそこには存在できないわけだね。今を楽しもう。そしてあなた自身を肯定しよう。否定したところで何もいいことはないんだからね。やがて消えゆくすべての存在に乾杯だね。