かっこよさ
天網恢恢疎にして漏らさず
お天道様はいつも見ていると言われ、誰にも見られてないからといって非道なことをやるのは良くないとされている。屁理屈で言えば例えば夜であればお天道様はいないから大丈夫だとかそういうことではないことぐらい知っているだろう。ならこのお天道様とは一体誰なのか。それはあなた自身だね。誰にも見られていないからといって、あるいは不本意なことだけど仕方がなくやっているというのは、すべてあなたがお見通しなわけだ。もちろん現実的にはあなたが思うようにはままならないことばかりだろうし、その中での妥協の選択を迫られることもあるだろうし、もっとひどければ選びたくもないことをやらなければならないこともあるだろう。しかしながら、そんなことをやっている暇はないわけだ。あっという間にこの奇跡とも言える時間はやがて消えゆくものなのだからね。できればあなたがやりたいようにやったことを少しでも増やしていく作戦を立てたほうがいい。
心の声
だからといって、泣いてばかりいるあなたが楽しい気持ちにはなりにくい。それも心の声に惑わされて泣くぐらいにつらい状況だという感情を選択してしまうね。だからといって無感情になろうとしても、その無感情であるための感情を選択していることになるので無意味だろう。ならどうすればいいのだと思うかもしれないけれども、心の声を知りつつもあまりそれに振り回されないようにすることぐらいしかない。その状況においてそうなっただけのことだと知れば、あまりそれを気にしないでいることがベストではないかもしれないけれどもベターな選択かもしれないね。もちろんすべてはそうなるようになっているだけのことだから、あまりそこに注目し続けるのも得策ではないぐらいの気持ちがちょうどいいだろう。心の声や感情に振り回されないようにしすぎないことがちょうどいい塩梅とも言えるわけだ。ここで言う心の声の主は誰かといえば、言うまでもなくあなたであることは間違いない。
軌道修正
完璧主義に陥らないで、感情は状況によって生まれるお天気のようなものだと思って付かず離れずでいることが一番だね。そういう曖昧で矛盾した状況を許せないようになると、毎日が窮屈になって結局のところ窮屈さという状況を好ましくない不幸だという感情を採用する羽目になる。ま、そういうときもあるさ、なんて脳天気で楽観視できれば一番だということだ。断ればいいのに断れないとか、やりたくもないのに引き受けるとか、それらのほとんどは状況に飲み込まれてしまっているからに過ぎない。お天道様はあなただ。だからそういう不本意な行動すべてを見られてしまっているから逃げ道がないわけだ。だから少しでも修正をして、少しでもあなたの意見を言えるようになることがあなたの人生を生きるということになる。そういうあなたをあなたがみて情けないとかカッコ悪いとか思う感情に振り回されるぐらいなら、あなたが思うかっこ良さを演出できるようになったほうがいいね。