叶わぬ願い

日々

願望成就

年齢を重ねることで、願望がどんどん叶わなくなるね。それは願いの本質がどんどん変化しているわけではなく、むしろほんの少しの願いでさえ、あなたのお眼鏡に叶わなくなることが多くなるからだ。その原因は体験という記憶がどんどん増えていることだ。一度経験したそれらを覚えていることで、それらは願望成就という記憶にどんどん追加され蓄積されている。それらも本来はそうあればいいと願ったことなんだけれども、すでにそれらは実現できているわけだから、それらが今も変わらず叶っているというのにあなたはそれを認識することができなくなっている。すなわち、幼い頃に願った素朴なそれらは、すでにすべて叶っているわけだ。実はあなたの願望はあなたが思っているほど叶わないものではなく、ある一定数以上すべて叶ったからこそ今があるわけだ。欲望がどんどん肥大化する仕組みはそこにある。すでに色んなことを叶えているというのに、それらは無きものとしてその上での新たな願望を指して、どんどん叶わなくなると錯覚しているだけのことだね。

一昔前

例えば今ではスマートフォンを持っていない人などは稀有な存在だと思うだろう。まだ使っても持ち歩いてもいない人を身近に探してみるとわかるね。現代社会において利用頻度には差異があるとはいえ、いつでもどこでもなんとか連絡しようと願えばできるようになっている。それは多くの人に利便性を与えているには違いない。ところがそれが前提条件になるからこそ、それらは忘れ去られて当たり前のことに変化するわけだ。これをステージアップや暮らしの質の向上などというように喧伝するのが資本主義の社会なんだけれども、次はARやVRゴーゴルを皆がつけている世界を提案してくる。ついにはスマホもすでにオワコンであり、次の新デバイスを求める流れを生み出している。一昔前では考えられないツールをすでに手にして数十年後には、それはもういいから早くもっと革新的な何かを求める願望が強く生まれているわけだね。そうのような願望のアップデートが今の社会の原動力となっている。

少子化

しかしながら状況が変化しつつあるみたいだ。それはそもそもそうやって願望や欲望の総量が減少していくのが少子高齢化社会だ。すなわちそのような願望がとことん行き着いた先の結末だと言える。もはやあなたの願いは叶えるための資源や技術革新が間に合わないぐらい肥大化していることにより、それらを担う次世代の子どもたちを育てるにはコストが掛かりすぎる状況に陥ってしまったわけだ。今では子どもたちに数十万円するスマートフォンをいつ与えるのが適切なのかという新たな課題が、親たちの悩みとなっているわけだ。もちろん価格よりもその効能とリスクを考慮してのことだけれども、要するに禁断の果実のようなもので、利便性と引き換えに何かしらを犠牲にすることで願望が実現しているわけだ。そのような本質は今でもずっと変わらない。願望はあなたの心のスキマから生まれている。ならば、心の豊かさを生み出す源泉としてのスキマを残しておくために、叶わぬ願いがそこにあるのかもしれないね。