AIに聞いてみる
教育
教育本来の目的とは自発的になにかに取り組む力を育むことだね。ところが今では出る杭は打たれるような感じになっている。先生の意図を汲み取って、その結果を順序よく出すことができることが有能だとされている。言われたとおりにきちんとできることが最上位であって、それ故未だに試験で優劣が判定される仕組み以上のものがない。社会に出たとしても、上司が求める理想像を実現することが求められる。そしてそれができると出世できて多少の報酬や地位が得られるわけだ。その枠組だと、自分なりにやってしまうと勝手な解釈だと減点されてしまう。そうして指示に対する処理性能を評価されることが多いわけだ。けれども最近のAIの出現で様子が大きく変わってきた。間違えないで無感情に言われたとおりにできて、かつ処理が速いという点では、AIのほうが勝っているとされている。さて、そんな時代に求められるあなたの何があっても生きていく力は一体なんだろう。
無駄
現代はやるべきことが多すぎて、無関係なことを徹底的に排除し、短時間で処理するために時間効率や優先度を的確に判断しなければ置いてけぼりになってしまう。だから、分単位でスケジュールを立てている人もいるぐらいだ。そうやってやれることを増やしていくこと自体はいいとか悪いとかはない。ただそこで確実に失われているものは遊びの部分だね。余白や余裕と言い換えてもいいだろう。効率化を極限まで突き詰めるとそれらはすべて入る余地がなくなってしまうからだ。もちろん緩急をつけて、プライベートとビジネスをきちんと区別して両立することも不可能ではない。それができているということはおそらくあらゆる面で優秀だろう。けれどもそのものさしはやっぱりぎゅうぎゅうに詰め込んだスケジュールを遂行できているということになる。本質はそうではなく、もっとだらだらと過ごせて何もしない余白を持つことができるなら、実はそのほうが優秀だとされる世の中のほうが健全なんだ。
寝食
それらが行き過ぎると生物本来に必要な食べること寝ることが犠牲になりがちだ。何かに夢中になってまさに寝食を忘れるぐらいに熱中することもあるだろう。ただ、それもこれもあなたがいずれはのんびり生き生きと過ごすための過程に過ぎない。なら今からすぐにそうすればいいだけの話なんだけれども、それは許されない構造になっているわけだ。そんなことしたら生き残るのに十分な富を得られないようになっている。しかしそれは本当にそうだろうか。その仕組みが前提で変えられないとしても、それをうまく利用してもう少し余白を持つことができないだろうか。実のところそんなところを考えられる力が教育の本来の効能だね。逆にそういうことが考えられる余白を残すことは、今の社会の枠組みをブレークスルーしてしまう能力を生み出すことになる。だから誰かにとってはとっても都合が悪いわけだね。しかしそれもそろそろ種明かしの時期がきたかもしれない。さて、あなたはどう思うだろうか。ちょっとAIに聞いてみてもいいかもしれないね。