もっと刺激を

日々

今が最高

ちょっと怪我したり、電車に乗り遅れたりしたけれども、今日という日は最高だった。いやいや、いつものなんてことのない一日だったし、なにかラッキーなことがあったわけもなくすべてが予定調和でまた貴重な一番若い日が終わってしまったよ、なんて思っているね。でもそれがなんだというのだろう。目の前で親しい人が亡くなったり、大切なものが壊されたり、家を家族も失ったりはしていないというのにね。上司と馬が合わないとか、恋人とうまくいかないとか、給料が安いとか、そんなことぐらいであなたは地獄だと思い込んでいる。冷静に考えればそんなことが地獄であるわけがないことはわかるだろう。そんな文句が言えるほどの幸せな日々であることは間違いない。もはやそれが当たり前になってしまうから、あなたは幸せというもの自体を勘違いしていくわけだ。一度街を歩いているだけで命が狙われる状況になれば、今がどれほど素晴らしい日々だったかということを思い知ることになるのもわかっているのではないかな。

不幸という刺激

結局のところ、あまりにも幸せすぎるから不幸を探し求めないとそうだと確認できないわけだ。いろんな心配事を探し求めて、ほらやっぱりうまくいかないと嘆きたいわけだ。そうでもしないとあなた自身が溶けてなくなってしまうことを恐れているわけだね。ずっと春のような穏やかな日々で、毎日が快適に過ごすことが出来る状態が続くと、あなたはおそらく何もしなくなるかもしれない。そして少しでも寒くなったり暑くなったりする場所を求めるのかもしれない。それがあるから、今が快適であることを再確認することができる。少し遠出をして我が家に帰り着いたときに、やっぱり家が一番だ、なんていうのもそれに近いね。単調で見慣れた我が家からわざわざ遠くまで出かけたいと思って旅に出たはずなのに、刺激を受けるだけ受けたうえで、やっぱりほっとするわけだ。そうやって我が家の素晴らしさを再確認するために、それを繰り返している。

拠点

帰る場所があるから冒険ができる。毎日冒険のような暮らしが良いと勘違いしているけれども、それだとそれが目新しい刺激にはならないね。冒険というのは安全地帯があって成立するわけだ。おそらくは毎日が刺激的だとそれが当たり前になるだろう。なら野生の動物はどうか。住処があるといえばあるけれども、日々冒険をしているように見える。彼らはおそらくこの地上すべてが我が家なのかもしれないね。だから好きなところで眠ることが日常だろう。あなたもそれに近い生活が、ハリのある人生だと思っている。であるならそうしてみてもいいだろうね。住所不定になることは現代社会では不可能ではない。友人の家を転々とする生活もいいだろうし、ホテル住まいを実際にしている人もいるだろう。自ら望まないけれども単身赴任で長らく家族と離れて暮らしている人もいる。いずれにせよそれが長く続けば、あなたの安全地帯へと変わっていく。どうやらあなたが求めている幸せはそうしたところでいずれ感じられなくなるかもしれないね。