自己欺瞞

日々

執着心

気になることがあったり、そこにこだわりがあったりする。それは決して許せないことであり、どうしてもそうならないと気がすまない。けれどもあなたはそれをただ眺めているだけなんだ。許せないと思っているのは、あなただけでありそれを許したところでなにも変わらない。だから苦しいわけだ。あなたがあなたであろうとするそれらのことは、すべて自然の流れとは逆向きだから必然的にそうなる。そもそもなぜあなたがそうなったのかということを探求してみればすぐにわかるだろう。全体の流れの一部にしがみついて、それをずっと抱えようともがいているだけのことだからだ。すべては流転して変化し続けているわけで、一時も同じであることのほうが不自然なことだ。それをなんとなく知りつつも、過去のその一時があなたを縛り続けている。それをこだわりとかあなたらしさという言葉で、どちらかというと前向きに捉えようとしているのも実は外側から見てみるとおかしなことだね。

憤り

そうやってあなたのこだわりが保てないことに憤りを感じて、呪いの言葉をなげかけたりする。それもある意味自然の流れの一部だといえばそうだろう。しかしながら、それを繰り返しやったところで大いなる流れは止まることはない。なにか変化を起こせたような勘違いをしてしまうけれども、実はそうでなくてもそれらはそうなっていたことばかりだ。あなたはそれらを自分ごととしてうまく乗っかって、ほら見たことかと勘違いしている。それがもし可能な能力を持っているのなら、そもそもあなたにはそれを念じたりすることも必要はないはずだからね。だからすべては勘違いであって、あなたのその気持ちでさえその状況でたまたまそう思わされたなにかでしかない。それに振り回されているということは、過去に執着しているだけのことであり冷静になれば刻々と状況は変化していることに気がつくだろう。憤りがそう長くは続かないのはそういう仕組みだからだね。

望むがまま

過去に執着したことを望むあなたは、生きたいように生きるという意味をそもそも履き違えてしまっている。もちろん望むがままにやりたいようにやればいいのだけれども、その出自をしっかりと見つめないと結局のところそうはならない。だからわがままになったり傍若無人ぶりを発揮してしまうことになるわけだ。それをやってみれば必ず気づきがあって、快適でもないし生き生きとした時間でもないことを体験する。それでも生きたいように生きる、なりたい自分になる、なんていうよくわからない言葉であなた自身を騙そうと必死だ。そもそもそう思っている時点でおかしいことに気がついているけれども、今度はそれを頼りにしようとしてしまう。そうやって本末転倒になるわけだ。そんなものは本来のあなたでもないし、自然の流れの一部でもないただの異物や障害物でしかないからね。そして自己実現でもなく、何も生み出すこともなく、やっぱり苦みだけがずっと残ってしまうわけだよ。