どちらでもない
一難
順調に上手くいっていたときは、その間はなんとも思わないね。今日一日を振り返ってみると、上手くいかなかったことばかりを思い出す。だからやっぱりついてない人生だなんて思い込んでいるわけだ。なんともないことが実はほとんどだというのにね。あなたはいつもそういう傾向にあることをまずは気づく必要がある。思い出せない日々は実は幸せに包まれていたわけだからね。いやいやいつも変化もなく刺激もなく平凡な毎日で、もううんざりしているよ、なんて反論するかもしれない。けれども、そうやってなんともない日々があるからこそ、上手くいかなった記憶だけを思い出すことができるわけだ。ああ、なんて不幸せなんだろうと思っているあなたは実は幸せの真っ只中にいるという矛盾がそこにある。そうやって振り返ることができるのも、あなたが幸せを幸せだと感じられなくなっている証拠でもある。
輪郭
真っ白のキャンパスに、少しだけシミがあるととても目立つのと同じことだね。周囲が真っ白だからこそ、あなたはそれに気づくことができるわけだし、それが気になって仕方がないわけだ。ところが周りが薄汚れている状態だと、シミを見つけることもなく、全体的にぼんやりとしかわからない。どちらが幸せかというと間違いなく後者だね。要するに、実はあまりにも幸せの中にいるからこそ、上手くいかなかったことばかりが強調されてしまうわけだ。幸せだった日々をそうだと感じるには、とても辛い記憶がないとそうならない。だからあなたが嘆き悲しむことが存分にできる今は、実はそうではないことになる。真っ黒のキャンパスに多少の汚れがついたところで、あなたはそれを認識することができないわけだからね。そもそも元の色がどんな風だったかすら怪しくなる。だからとても辛い感情に襲われたとき、ああ、実は幸せがそこに広がっているからこそなんだなと思えるようになるだろう。
バイアス
そう考えてみると、物事をまっすぐに見つめることがいかに難しいことかを知るようになる。素直になりなさいと言われたところで、それが簡単そうで難しいのはそういうことだ。今起きている感情をそのまま受け入れるというのは、いかにその状態を保ち続ける要因を見つけることができるかにかかっているのだからね。強く感じるその苦しみの裏には、同じだけの幸せが裏打ちされている。単にそんな単純な仕掛けをあなたはいつも見逃してしまっている。今とても幸せだと思えるのは、あなたがそうではなかった日々の記憶があるからこそであるし、あなたがとても不幸だと思っているのも幸せだった記憶に頼っているわけだ。本当に真っ白な空間では何も認識できないように、真っ暗闇でも同じことだ。だからこそ、あなたはずっと幸せだと断言できる。もちろんずっと不幸だったと言っても同じことだ。さらに言えばそのどちらでもないすべてがそこにある。それが本当の人生に触れている状態だとも言えるわけだ。