ゆっくりしていってね

日々

早くしなさい

何気なく親たちがグズグズしている子どもたちに向かって投げかけている言葉が「早くしなさい」だね。多くの人は急いでとか早くとか言われ続けて育ってきた。そんなあなたはもたもたしている様子にイライラしている。何事も素早くやれることが良いことだとそこで洗脳されてきたわけだ。だからついつい急いでしまうクセがついてしまっている。同じことをやるにも早くできることが優秀だと評価されてきたのは、時間単位の効率が上がったからだ。しかしそれは誰にとって得なのかという視点でみると、あなたが同じ時間あたりに処理するスピードが上がったことで、同じ時間でできることが増えたとしても喜んでいるのはそれをやらせている側であることに気づくだろうか。ゆっくりやっても早くやってもその結果が同じであれば、たどり着くところは同じだ。ところが素早くできることに重きをおいているのは、生産性という観点を常に気にしている指示命令側だね。

スピード

ゆっくりと走っている人は笑顔であることが多い。ところが朝の通勤ラッシュでも笑顔でいる人は少ないだろう。それこそイライラの頂点であって、もたもたしている人を睨みつけるような人混みにまみれている。あなたでさえ、そんな人に邪魔になって迷惑な存在になってはいけないとついつい急いでしまっている。そのときの顔はあなたがいつも見ている人々の顔になっているに違いないだろう。とにかく流れを乱さず、流れに沿って無心に動き続けることであらゆる感情を閉じ込めている。息をするのも忘れるぐらいにね。そういうストレスを常に受けているから、いざのんびりしようとしてもついつい急いでしまうわけだ。そのクセが寝ても覚めても抜けないようになり効率化マシンとなってしまっている。あなただけが好きでやっているのであれば、それも良いかもしれない。けれども大きな弊害は、ゆっくりのんびりやっている存在を許容できなくなってしまっていることだ。

幸せな時間

鬼の形相で走り回って忙しくしている人の顔を見れば、それがいかに不自然な状態かということに気がつくはずなんだけれども、いつの間にかあなたもその顔でいつも走り回っている。そんなあなたの顔を見て子どもたちはそれを学んでいくわけだ。そうして早くしないといけないという不文律が脈々と受け継がれていく。ゆっくりとのんびりとしている人は、おしなべて幸せそうな笑顔でいる。急いでいるあなたからすれば、呪いの言葉を投げかける対象となってしまう。それなのに、あなたはその幸せで時間をゆっくりと楽しんでいる笑顔になるために、鬼の形相をしているわけだ。おかしなものだね。多少の時間がかかったところで人生において何ら問題はないというのにね。あなたはそうやって今この時をすべて急いで終わらせようとしていることに注意したほうがいいかもしれない。タイパや効率化なんていう言葉をスルーできたとき、あなたの本当の人生が味わえるとしたら皮肉なことだからね。