頑張ってはいけない
我慢
どうしてか我慢することは美徳とされている傾向にある。あなたもいつかの幸せを手にするために、今は我慢してストレスフルな生活を受け入れているだろう。幸せになるためにはそれなりの対価が必要だと言うロジックは、不思議なことに多くの人に受け入れられているようだ。我慢は身体に良くないね。我慢するということは今は不幸だと受け入れることになるからだ。そうではなく今も幸せ、夢や希望が実現したならばもっと幸せだと言うのが健全だと思われる。しかしながらそうはならない。日常は未来への期待で塗り固められてしまっているので、今は我慢だともう自らに言い聞かせて過ごすしか選択肢がない状態だね。いやいやそうではなく、今を大切に生きるということは、今も十分幸せだから足し算ではなく、そういう漠然とした不安を遠ざけることに注力した方が結果的に幸せの総量は増えるわけだ。それを見つける視点が抜け落ちてしまっていては、結局のところどんどん豊かになったところで新たな我慢を強いられることを繰り返してしまうことになるのだからね。
今すぐ幸せになる
さらにそういう視点でみると、今すぐ幸せになれないのなら無意味だと分類して、結局のところ今という視点が軽視されていくわけだ。今十分に幸せだという認識が持てないまま、未来の幸せを夢見ているだけになると、幸せは未来にしかないことになるね。だから今は修行僧のように努力と我慢を繰り返すことでそれが実現できると思い込んでしまっている。幸せは足し算ではなく、実は不幸だと思う瞬間を減らす引き算であるという本質を見逃すことになってしまうわけだ。つまらない毎日を、そうであっても繰り返し過ごせることの奇跡に気づくことができないまま、漠然とした夢物語や他人の成功話ばかりが気になって仕方がないのもあなたの今が空っぽだからだね。そもそも誰かやなにかと比べてどうこうなんていうのは、幸せに関しては全く意味をなさない無力なものだ。かりにそれが実現したところで、思っていたのとは違うと思うに違いない。そう断言できるのは幸せは誰かとかなにかにあるわけではなく、今あなたの心の中にしかないものだからだ。
頑張らない
そうなったのは、おそらく幼少期に受けた教育にほとんどの原因があるだろう。幸せは楽に手に入れられるものではないし、いいことなんてほとんどが稀で、辛いけれども毎日努力することが美徳だと教えられてきたわけだからね。正しく生きるなんてよくわからない言葉で騙されて、誰かのために頑張るということが社会生活において倫理的にも道徳的にも正解だと教え込まれてきた。逆に言えばそうやってあなたが自ら考える隙も与えられず、これが正解だから飲み込みなさいと言い続けられた結果、あなたは自分で何かを決めることがとても苦手になってしまった。だから幸せとはまさに絵に書いた誰かの暮らしであって、今のあなたのそれではないと信じ込んでいる。だから憧れのあの人のようにいつかはなれるように、同じような苦労を真似て辿り着こうと必死になっているわけだ。そもそもそんなものは元から叶うわけがない筋書きだ。あなたすら幻想であり、よってあなたの中の他人も幻なんだからね。