他人などいない

日々

違うあなた

この世界には他人などいなくて、実は全部違うあなたがいるだけだ。そう言うと、ならなぜあなたにとって不快な存在や、あなたとは真反対の性格の人がいるのだと反論するだろう。あなたにとっては信じられないぐらいの言動をする人や、あなたとは相容れない考えを持つ人など、思わず眉をひそめてしまうような人が目に付くからだ。でもそれもこれもすべてはあなたの存在を際立たせるために必要な人たちだと思えばどうだろう。逆にあなたにとって共感できる人ばかりに囲まれていると、天邪鬼のあなたはなんとなくつまらないと感じてしまうのではないかな。そういう人からもきちんとあなたにとっては反面教師として存在してくれているということになる。そのある意味あなたにとっての裏側があるからこそ、あなたはそれとは逆に迎えるわけだ。例えば砂漠のど真ん中に立たされた時、あなたの向かうべき方向をどう決めるだろうか。あなたにとってそっちではないという何かしらの手がかりがあれば力強く決めた方向に歩みを進めることができる。けれどもそれが見当たらないから途方にくれるわけだ。

道標

あなたにとってあなたとは相容れない存在のおかげで、迷うことなくそれに背を向けて歩みを進めることができる。だからある意味彼らは別のあなたがそこにいるとも言えるわけだ。だから、役割分担と言ってもいいぐらい重要な存在でもあるわけだ。彼らのおかげであなたはあなたらしい道を決断することにおいて道標だといっても過言ではない。あなたと共感する仲間だけだと、その中での迷いが生じた時に何を基準にするのか難しいのはそういうことだ。だから、そういう違うあなたのおかげであなたが浮かび上がっていることに気づくだろう。そうは言ってもやっぱり不快な存在かもしれないけれども、それはあなたの代わりにあなたがおおよそやりたくないことをやってくれている、あなたの影の支援者だとも言っていい。だからすべてを無理にでも飲み込みなさいということを言っているわけではなく、それらを感じられることに愛しみと感謝の気持ちを素直に受け止めることで、あなたはあなたらしさを維持することができる。

中庸

いつまでたっても迷いはなくならず、あなたらしさもいつの間にかぼんやりとしてしまうことが多いね。そのときに道しるべになるのは、あなたと違うあなたの存在しかない。そのB面のあなたとも言える彼らと決別することで新たな道を開拓できる。結局のところあなたが本来やりたかったことをすべてやってくれるのが違うあなたたちであり、だからこそこの世に他人などいないということになる。いるのはあなたと違うあなたであり、目を背けるような言動や考え方も実はあなたがやりたかったことだと言っても良いわけだ。この世界には他人などいないというのはそういう意味でのことだね。誰かにされて不快になったり、言われて傷ついているのは、そうではない道を指し示してくれる補助線を引いてくれている。あなたにとって嫌いな人たちは皆、いつかのあなたの姿を再現してくれている。それらのおかげであなたはそうはならないでいられるのだからね。