近すぎず遠すぎず

日々

無関係

まぁ呆れるほど毎日色んなことが起こる。そのほとんどは想定外であるから、あなたが望んでいはいないことばかりなんだけれども、それがあるからあなたは常に変化に対応せざるを得ない状況に置かれるわけだ。それを一人大騒ぎしてなんて不幸な境遇なんだと悲劇の主人公を演じている。ところがそれを一歩引いて見てみるとそれとは全く違う景色が広がるわけだ。そんな不確実な時を生きていることの奇跡を今度は不思議に思っているあなたも一方でいるわけだ。それが良いか悪いかなんていつもあとになってみないとわからないのはそのせいだね。結局振り返ってみればあんなことがあったからこそ、気がつけばあなたはそれ以上のことが起こったとしても微塵にも動じないメンタルを手にしていたりする。あるいはその余裕から誰かにいつも以上に優しく接することができた結果、賛辞の嵐を体験したりもする。どれもこれもあなたにとっては日常茶飯事であり、特に努力したり頑張ったり我慢したりして得たものではないからある意味そんなものなんてと思っているわけだ。

あなた

あなたに起きているそれらを、あなたのこととして見ているところからちょっと離れたところから見ているからそうなるね。それがうまくいかないとすべては目の前の出来事でいっぱいいっぱいになってしまう。でも、それらもそういうこともあるもんだと思う余白があるから、その狭い世界に閉じ込められないですんでいる。誰かの驚きと絶望的な状況が、あなたにとってはなんてことない日常に見えるわけだ。特にあなた以外の他人がそう大騒ぎしている様子を、少し離れた視座で見ることができるから、あなたにとってはその騒ぎ方が大げさに見えて、少し滑稽でさえある。ところが狭隘な自分ごととしてしか見ることができない彼らは、人生の一大事として右往左往しているわけだね。それらが示唆していることは、あまりにも近い視点でしか物事を見てしまうと冷静な判断ができないということだね。小さな窓から外の景色を見ているように、その全体像を俯瞰することができない状況とも言える。のぞき穴のような小さな視野から解決策を見出そうとしても根本的な解決策を生み出すなんてことはできないわけだ。

トラブルメーカー

だから他人事として眺めていると、結局のところ大したことのないちっぽけなトラブルを大きくしているのは、実のところその当人だということが手に取るようにわかってしまうわけだ。それはあなたにとっても当てはまるね。大抵の場合その苦しみのほとんどは杞憂にすぎないし、細長い柵にハマった動物のようなものだ。やばい、そこにハマって抜けないと焦っているけれども、その状況を俯瞰すれば身体の向きを変えるだけで抜けられることを知らないだけのことだ。他人事のそれはすぐにわかるあなたも、いざ自分ごとになるととたんに視野狭窄に陥ってしまう。だからあまりに近い距離はかえって物事を困難にしてしまうから、あなたはあなたに同化しないで少し離れておいた方がいいわけだ。それこそあなたに何かが起こったとしても、一歩引いてまるで他人事のように見るクセをつけるといいね。どっぷり自分ごととして見ようとすると、かえって長期化するのだから。あらら、大変だねぇぐらいに見ておいた方がいいのはそういうことだ。あなたの目の前に起こるすべてことに関しては、あまりに近くに寄らないようにして、そんなこともあるのかという感想と、でも自分には関係ないね、ぐらいがちょうどいいんだよ。