自分だって自分勝手

日々

思い通りにいかなくて

もう、みんな自分勝手過ぎよ。人のこと少しでも考えたことあるのって朝からご機嫌斜めみたい。どうしたどうした?何があったの?って聞いてみても、とにかく自分勝手なことが気に入らないみたい。その理由はたぶん聞いたところでわたしにはわからないだろう。わたしもあなたにとっては自分勝手な存在のひとりに過ぎないだろうしね。でも、その気持ちはどこからやってくるのだろうね。そりゃ、いっつも自分中心にしか行動できない他人からに決まってるじゃないのってあなたは言うけれど、そうなのかな?

不満の原因

たぶん思うに、何か特別な想いがあって、おそらく良かれと思って何かをして「あげた」のに、その人はちっとも「感謝」しないどころか、それを「踏みにじる」ことしかしない。それに嫌気がさしてご機嫌斜めなんだろう。とすれば、特別な思いでして「あげた」ことは、本当はそうしたくなかったのかい?何かを我慢して、わざわざしたことなのかい?いやいやそうじゃないよ。それをしてほしいってお願いされたからして「あげた」んだよって言う。なるほど、自分のしたいことを棚に上げて、してあげたことには「感謝」があって「当然」だということだね。だから私は「間違ってない」のよ。うん。確かにそうだね。それは「あなた」にとっては「正しい」のかもね。

わたしとあなた

わたしの思いをこれっぽっちも理解しようとしてないって言うけれど、それは間違いないことなのかな。もちろん、我慢強いあなたは一度や二度のことでそんなに怒ったりしてるわけではないんだろうけれど。小さな我慢と不満が積もり積もってしまったってことかな。不満とか我慢とかという心の動きはお金のように貯金できるもんなんだね。そして満額になったら定期預金をおろすように爆発するって?そんなこと本当にあるの?いやいや、あるからこそ今最悪な気分になっているんじゃないの。そういうところが「自分勝手」だから他人の気持ちなんてわからないのよ。なるほど。そういう風にあなたからは見えているってことだね。あなたが見た景色はそうなんだろうね。

優しさの向こう側

そうか、それぞれの人からは同じようには見えないってことだね。あなたから見るとみんな自分勝手、好き勝手に動き回っている。それでもあなたが「良かれ」と思って何かを「犠牲」にしてまでして「あげた」のはどうして?何か他の意図があったから?ギブアンドテイクが大切とか、「思いやり」を持ちましょうとか、人に優しくするべきよ、とかそういう言葉に従っているから?「良き人」は「慈愛」にあふれているべきとか?何かの本で読んだ言葉に従って、自分も「慈悲深い良き人」として認めてもらいたいから?え?そんなんじゃないって?

自分勝手な幸せ

やりたくないことを「我慢」してまでやっているのは、あなたの自由だよ。そうしたいからそうしているんだよね。誰にも何にも言えないことだよね。でもそうなんだからその思いをきちんと受け止めてそれ相応の「感謝」が当たり前だと言うのはちょっと行き過ぎじゃないかな。そんなこと言うのは「偽善者」だって?なんか、思いやりとか慈悲とか言う前に、結局は自分がどう思われるかということばっかり気になっているような気がするけど。結局それって自分のためにしてることだから、わたしもあなたも「自分勝手」ってことにならないかな。

え?そんなこと言うあなたには呆れたから、もう「勝手」にすればいいじゃないって?うん。ありがとう。お互いに好き勝手にしようよ。そのことを尊重して受け入れ合うことがあなたの好きな「慈愛」だと思うから。