あなただけの答え
目的
なにか思いついたとき、あなたはその目的を叶えるために段取りを組むわけだ。これまでの経験を振り返ってみて、目的を叶えるために必要な知識や経験をどうやって身につけることができるかという視点から、それの要素を分解して順番に並べるだろう。だから目的を叶えることが正解として、その正解に導くためのプロセスをあなたなりに踏んでいこうとしがちだね。そうなるのも無理はなく、正解がすでに存在しなければならないわけだ。ところが実際には正解なんていうのは仮の姿であって、実はどれもこれもが正解だと気づいたとき、あなたは途端に途方にくれてしまうね。どうやったら実現できるのだろうと迷路に入り込んでしまうことが多い。正解がないというのは、あなたにとって一番の苦手なことにいつの間にかそうなっているわけだ。そのプロセスにおいてその目的は迷宮入りになって、目的を見失ってふわふわした毎日を過ごすことになる。
単純化
だから答えがない問いに対して、あなたはめっぽう弱いわけだ。そしてそれを生涯を通じて取り組むことが辛くなる。あなたは人間関係で悩み、希望の生活が満たされないままで苦しみ続けることになる。それらの共通点は正解が一つではないことだね。どれもこれもあなたにとっては、不完全であり、完全であることが正解であるという思い込みからそれは引き起こされている。だから資格や地位や役職、肩書などわかりやすく単純化されたものばかりに夢中になるわけだ。それらの共通点は正解は一つだということだね。そうやって答えがあることばかりに人生の大半を費やすことで、あなたは一時的な達成感と満足度を得ることができる。しかしながら、それらを繰り返してみたところで、心の奥底ではずっと満たされない何かがひっかかっているね。それらをいくつ手にしたところで、根本的な目的は迷宮入りのままだからだ。
解決
したがって問題解決なんていうのは、本来どこにも存在しない。資格試験や受験には必ず問題集の裏に答えがある。そうしないと点数化できないからだ。逆に言えば点数というものさしを使うことが目的であって、どれもこれもその問題が根本的になにかの力になるわけではないということを意味している。世の中には取得するのが困難な資格や、入学するのに難しい学校がある。けれどもそれをクリアしたとしても、結局のところその後どうするかの答えはどこにもない。答えのある問いばかりに夢中になるがあまりに、答えのない問題に関しては何ら未解決のままとなる。答えのない問いの答えは、じつはあなたが答えを持っているわけで、それは誰かの不正解であるかもしれない。ただそれを問えるのはあなただけだ。だから何をどうしても正解とあなたがいえばそうなる。それに価値を見いだせないのは答えのある問題に慣れているだけのことだね。そしてそれに特化したところであなたの正解を超えることはできないのは、そういうことなんだ。あなたの答えはすでにあなたの中にあるのだからね。