老いては子に従え
教育
教育とは主体的に物事を捉える力を身につけることだね。誰かに忖度をして他人の顔色をうまく見分けることではない。もちろん社会生活においてはその能力もあったほうがいいだろう。けれども軍隊主義的な学校教育を真正面から受け止めてしまうのは弊害となるわけだ。地獄の道は善意で固められていると言うけれども、先生も何も悪意があってそれを教えているわけではない。けれどもそれがもはや時代遅れとなってしまっていることに無自覚であるならば、独裁的な洗脳であると批判されても仕方がないことだ。だから親がそうであるように、子どもたちからともに学ぶという姿勢を維持しなければ、親の価値観や意見を子に押し付けるだけの命令マシンと化してしまうわけだ。あなたが経験上こうした方が良いと思ったことを、子どもたちに伝えてみて、そうではないと言われたなら腹を立てるのではなく、どういう要素でそうなったのかをともに考えることが必須なわけだ。
成功と失敗
人生はそうやって、失敗を重ねることで経験を積み上げていくわけだ。その中で昨日の自分をブラッシュアップし続けながら、常にアップデートしていくことが人生の本質だと言って良いね。過去の成功体験や自らの昔話ばかりしていては、そこにとどまってしまう。そうではなく、あの頃はそうであったけれども、実はもっとうまくいく方法があったのではないかと自問自答しつつ、子どもたちにそれを素直にそのまま伝えることが、大げさだけれども人類そのもののレベルアップにつながるわけだ。けれども大半の先生や親は、自分が否定されたり、評価されなくなることばかりを恐れるがあまりに、失敗のない人生が良き人生だということを伝えがちになっている。失敗か成功かなんていう表層的な現象にとらわれすぎるのではなく、あなたの人生を超える存在を生み出すことがあなたの使命であり、あなたが伝えることができる唯一の情報だね。それがわかれば伝え方と対話に必然的に注力するだけになるはずだ。
従順さと愛
素直であなたの言う事を聞く子どもたちは、シンプルに可愛く思えるだろう。けれどもそれでは、あなたの劣化コピーでしかないことにも注意しなければならない。もしくは、あなたの顔色を見抜く力が優れていて、あなたに気を遣っているだけで本当のところはそうではないかもしれない。それらを注意して観察してみれば自ずと結果がわかるようになるだろう。それだけの経験はあなたにもすでにあるはずだからね。あなたに愛されたいがためにそうしてしまっているのならば、あなたからその必要はないことをきちんと伝えてあげれば良いだけのことだ。あなたがイライラして腹を立てているような子どもたちの方こそ、あなたにとっては不足している何かをそこから得ることができるはずだ。あなたをそうさせる要素は一体なんだろうか。それはあなたが本当のところそうしたかったことをしているからの嫉妬だったり、生意気だと感じているだけだったりする。それらの感情の根本には、いつもあなたの写し鏡となっているはずだ。だからともに未熟さを洗練させていくことが教育、ひいては人生の本質なんだよ。