なんか変
配慮
あなたはいつも丁寧に相手や状況をできるうる限り把握して、類推して、心を配っている。それ故にあなたが思う直感的な違和感をいつも押し殺して生きていることが多い。人生も長くなればそれなりの地位も立場も出来上がってしまって、本音は言ってはいけないことにいつの間にかなっている毎日だ。そこでどんどんその違和感を解消するためにあれこれと考えて理屈をこねくり回している。そしてその結果を金科玉条としてあなたがあなた自身をそうやって説得しているわけだ。それを論理的な思考だと勘違いして、感情的な議論はご法度となる。だから一時的な感情を押し込めようと必死になっているのだけれども、それでも溢れ出てくるそれらは止まることはない。そんなこんなで毎日が憂鬱になって、もはや生きているのか死んでいるのかわからない状態になってしまっているから、ストレスフルで辛い毎日だと嘆いているわけだ。
与えられたもの
知識や経験や、それによる地位や名誉は生まれ持ってきたわけではない。でもそれがないと生きづらくなるから、一度手にしたそれらを無下にすることはできない。あなたは別にそれにしがみついているつもりはさらさらないけれども、かといってすべてをリセットする勇気も気力もない。だからそれなりのロジックをいつも探しては組み直している。そうすることでなんとか直感と論理の間をいったりきたりしている毎日だね。その中庸をどうにかこうにか決めることで、大きく踏み外さないようにバランスをとって生きている。そんな状態だから、感覚に全振りすることもなく、かといって論理的整合性も完璧ではない中途半端な状態がずっと続くわけだ。だからなんとなくもやもやし続けることに陥ってしまっている。この場合のバランスは、あなたの社会的な立場と常識人としての振る舞いを維持するためだけに取っていることになるね。
本音
感覚はあなたが生まれ持っている唯一のスキルだ。それを押し殺すことを教育によって与えられてきた。感覚は誰にも真似できない特殊な能力だと言ってもいい。それを封じ込めることで社会的な調和を取りやすくなる。それが人生戦略における重要なファクターであることは間違いないね。でもそうやって感覚を押し殺しているとどんどんあなたの本来の嗅覚が鈍ってくるのも事実だ。いつの間にかそれなりに誰もが羨むような地位についたとしても、あなたは自らの能力を切り売りしてそうなったとも言えるね。たまには感覚だけで過ごす時間を取り戻すのも悪くはない。もちろん濫用はよくないけれども、なんとなく違和感があることを大切にするのもいいだろう。それはあなただけしかわからないことかもしれない。けれどもその違和感が次の扉の鍵になっていることが大いにあるのも事実だ。そしてその能力は誰かから教わることもできないし後天的に手にすることもできない、いわば特殊能力と言っていいのだからね。