選択できる幸せ
縁
あなたは生かされていると感じる瞬間があるだろう。なんてことのない日常において、いろんな人やものがちょうどいいタイミングで差し出されていることを感じるときだ。なんてことのない日常だから普段は全く気が付かない。けれども、なにか困難やトラブルに直面したとき、もう絶望の淵に立たされたと思っていても気がついたら嵐のように過ぎ去っているわけだ。だから今があるわけだね。もちろん今も余談を許さず火の車だよ、なんて反論もあるだろう。けれどもどうにかなってしまうのではないかと思っていたのに、どうにかもならず暫く経つとなんてことのない日常にいつの間にかかわっているわけだ。一難去ってまた一難といいながらも、そんな悠長なことを言える状態までになっている。今までもそうであるし、おそらくはそろそろ気づいているかもしれないけれどもこれからもそうだろう。もちろんそんな達観的に見ることができずに、日々ドキドキして過ごしているかもしれないけれどもそれもまた一興だとも言えるね。
偶然と必然
ここで誰かに助けて欲しいというときには、大抵の場合は助けはドラマのようにはやってこない。やっぱり現実は厳しいのかと落胆するだろう。けれども、そんな思いとは裏腹にだからといって明日どうにかなってしまうまでもない。もちろんあなたの脳内ではジ・エンドだと想像しているだろうけれども、実際はジ・エンドはまだ先のようだ。それをこれまで振り返ってみれば何度か繰り返してきているわけだ。それはよくよく考えてみるとなんとなくぼんやりとわかってくることがある。すべてはたまたま大事にはならず、あのときもしかしたら本当に人生が終わったかもしれないという場面において、あらゆることがあなたを生かす方向に揃ったからだ。これは果たして偶然なのか、それともそうなる運命である必然だったのかと不思議に思うだろう。でもその不思議に思っている今があるということは、やっぱりそうなるようになっていたのだろうと思わざるを得ない。すべてが思っていたほどすごくはないけれども、だからといって考えていたほどひどくはなかったわけだからね。
希望と不安
いつでもあなたはそろそろジ・エンドな出来事が起こるかもしれないと不安でいっぱいだ。その一方でもしかしたらとてもラッキーなことが起こるかもしれないとい淡い希望も同時に存在している。ようするにどちらもあなたにとっては大切な両輪であるということでもある。幸せいっぱい、夢いっぱいのハッピーライフだけでは物足りないし、不安しかなくて一瞬先は闇が確定してもつまらない。次はどっちがやってくるのかな、とドキドキすること自体が人生そのものであるわけだ。だからどちらか一方だけを選びなさいと言われたところで、なら幸せだとシンプルに選ぶことができるかというと、はてさて本当にそうするかな。そんなの幸せいっぱいの希望に満ち溢れた人生を選ぶに決まっていると言うだろうけれども、その裏返しにそんなことはどう頑張っても起きないだろうという前提がそこにあるからそうだと思っている。今が十分幸せだと言う人はどちらも不要だろう。結局のところどっちとか選べる状態がそもそも希望でしかないのだからね。