切れた電球

日々

また電球が切れた

電球はフィラメントという部品を電気のエネルギーで光らせ続けている構造だから、いつかは燃え尽きるね。で、突然切れる。ああ、寿命だな。ブツブツ言いながら交換するための準備をする。今どきは電球なんかを交換したことがない人も増えているのかな。形あるモノは寿命があるね。家だって定期的にメンテナンスしないといけないし、身近な電化製品もいつかは調子悪くなっていくし、お気に入りのバッグや服や靴なんかも、できるだけ寿命を伸ばそうと丁寧に扱うんだけれど、いつかは失うことになる。そう、ここにあるものはいつか必ずなくなることを知っているね。時代はどんどん進化しているけれど、モノとして永遠に使い続けることはまだまだ難しいままだね。長寿命っていう言葉は、人の命の時間を目安にして、それに匹敵するか、それ以上使えるものっていう区切りがある。まれに、先祖代々受け継いでいるモノもあるけれど、それもいつかは消えてなくなることをなぜだか知っている。どんなに大切にしていても形あるモノはいつかは壊れる。究極的には地球の命も永遠ではないらしい。宇宙レベルになるともはや確かめようもないけれど、この宇宙も今とは変わってしまうんだよね。

面倒事が一つ減る

人の寿命はおおよそ80年ぐらいだと仮定すると、時間にして約70万時間ぐらい。最近のLEDの電球なんかは10万時間とか持つように改良されている。このペースでいくと人間の平均的な寿命を超えたモノができるのかな。どんどん進化したら、今みたいに電球が切れて交換するような体験もぐっと減ることになるね。そしたら椅子に乗って両手をぐっと上にあげて、ぜいぜい言いながら交換したりすることもなくなってしまう。一見面倒で無駄な作業だけれど、その体験が一つこの世からなくなることは何を意味しているのだろう。効率がよくなって心配事が一つ減るってことは良いことだと世間では言う。確かに以前よりも便利な世の中になっているはずなんだけど、新たな別の心配事がまた増えたりしてそんなに減ってないような気もする。どうやら心配事は際限なく生まれる仕組みになっているみたい。

ずっと変わらないこと

つけたり消したりを繰り返す方が電球は早く燃え尽きるらしい。人も笑ったり怒ったりして寿命を迎えるね。仮にずっと同じ気持ちで毎日を過ごせたら、つまらない争い事や悩み事も減るのかな。でも、ずっと同じ気持ちでいることは楽しいのかな。喜怒哀楽がなくなってしまったら生きる喜びみたいなものはどこに見出すのだろう。平常心は大切だと先人は教えているけれど、笑ったり喜んだりしたいよね。でもその代償は、起こったり悲しんだりすることも同時に生まれてしまう。笑ったり喜んだりするためには、心を大きく揺り動かすことが必要だからね。山があって谷ができる。ぜんぶ削ったり埋めたりして真っ平らにしてしまうのは難しいね。多少の起伏があった方が旅していても楽しい。まぁ、実際はどうであってもいろんな理由をつけて文句言ったりしているけどね。

役目を果たすこと

人もずっとカッカして怒りっぱなしも無理だし、ゲラゲラ笑いっぱなしも無理。悲しいこともあるけれどずっと悲しむのは辛いね。心は常に揺れ動くけれど、あまり行き過ぎると身体に触るね。身体もモノに似ているのかな。壊す要素は目に見えないエネルギーが揺さぶるからだよね。でも少しぐらいは揺さぶられる方が楽しい。揺れない心と動じない身体を手に入れたなら、長持ちで長寿命かもしれない。人はみなそこを目指す方がいいのかな。どうなのかな。なんて思いながらフィラメントが燃え尽きた電球を見ている。燃え尽きた電球はもう使えないけれど、ずっと必要なときに光を照らしてくれたことは間違いないね。役目を果たしたことはずっと消えないことなのかな。とっとと交換しろって?はい、わかりましたー。