慎重かつ大胆に

日々

うまくいかない

うまくいかないときが、実は飛躍のチャンスなんだ。あなたはそう言われてもすぐには納得がいかないだろう。できれば失敗の少ない人生の方が、幸せだと思い込んでいるからね。失敗すれば周りの人に迷惑をかけてしまうし、ずっと誰かから咎められ続けてしまうし、それが原因であなたの足元をすくわれてしまうことだからだ。それが嫌で、失敗をできるだけ避けようとした結果どうなるか、それは何もしないことに尽きるという結論に至ってしまうわけだ。ところがそのチャレンジをしなければ、あなたはずっと何も得ることもないままの時間を過ごすことになっているだろう。だから昨日と同じ今日をぼんやりと過ごすことが平和で穏やかな日々だと錯覚している。何かに挑戦してうまくいかないことが実はすべての始まりであって、逆にそこからしか人生を学ぶことはできないというのにね。失敗が恥ずべきことだと教えられた人をよく見てみると、その本質を見抜くことができるかもしれない。

失敗の定義

そもそも失敗がダメだと言う概念がどこから来たのだろうかと深堀りしてみるといい。小さな失敗は日々何度も繰り返しているけれども、実はなんてことのない日常がそこに広がっているだろう。大きな失敗は少しばかり多方面に影響を及ぼすとしても、それも永遠には続かないわけだ。それよりも一番の後悔は、チャンスであったときにそれを恐れて何も行動できなかったことだね。やらない後悔はやった後悔よりも大きいわけだ。もしかしたら、という思いがいつまでもあなたの心の中にトゲとして刺さっている。思い切ってやってみた方が良かったのではないかといつまでも引きずるぐらいなら、やってしまった方が精神的にも充足することが多いだろう。もちろん迷惑をかけてしまうわけだし、いろんな不利益やダメージを与えてしまうことは避けられないけれども、そもそもあなたも誰かもそうやってお互いさまの関係でないと、生きることすら憚られるわけだ。

英断

だから失敗するかもしれないことに関しては、臆病になるぐらいがちょうどいいわけだ。もちろん無鉄砲に人を傷つけるような言動はあえてやる必要はない。そこに細心の注意を払っていれば、ほとんどの場合はそうならないようにできるだろう。もしその見通しが立たないのならやめておいたほうがいい。でもどうしてもやりたいことやチャンレジしたいことがあるのなら、あなたはさらにどうやればいいかを追求していくだろう。そこである程度の見通しと代替プランが見つかれば思い切ってやってみればいいね。その勇気は、その何倍もの見返りをもたらすに違いないね。慎重にかつ大胆にという本来の意味はそういうことであり、後先考えずにえいやっとやってしまうのは、無責任でしかないのはその通りだ。しかしながら本当に欲望や感情に振り回された行動ではないものであれば、その心配はそれほどしなくていいだろう。もうすでにあなたにはその準備と計画ができているのであれば、少しずつ着手していけばいいね。あとは走りながら修正していけばいいだけだ。