渦中へ飛び込む
不安
今にいないと不安になる。そして、この先のことばかりで頭がいっぱいになってしまう。するとますます不安が加速されていくわけだから負の循環となってしまって、そこから抜け出すのにとても苦労するわけだね。そこでジタバタして四苦八苦しているうちに、不思議なことにその不安はいつの間にかどこかに消えてしまう。そりゃ時間が経てば少し前の心配はなんとかなっているからだね。そこで安堵したとしても、ふとした瞬間にまた不安がむくむくと湧いてくるわけだ。それの繰り返しでこれまできたね。結局のところ大きければ大きいほど苦しいわけだけれども、小さい不安であっても積み重なってしまうと身動きがとれなくなってしまう。不安の程度はあんまり関係がなく、等しく言えることは今という時間がそれで埋め尽くされてしまうことだ。ほとんどが杞憂に終わって良かったねという暇もなく、振り返ってみればあなたが心穏やかに過ごした時間が思っている以上に少ないことに驚きを隠せないね。
不満
だからあなたは少し先の前を見据えて、そのための準備を整えようと今を生きている。逆にいえば今という時間を埋め尽くすためにそれらの不安や不満を生み出しているとも言える。なぜならもう考えても仕方がないと腹をくくったとき、あなたは今何もしないということをするようになるね。何もしないという選択も、なにかしなければならないという選択も、それらは等しく同じ思いで駆動されているからだ。それらをどう選択するかだけが今あなたができることだという事実を目の当たりにして、結局のところ不満な時間を過ごしてしまうね。だから不安は不安で感じつつも、あなたは常にやりたいことを選択し続けているだけでいいということでもある。不安も不満もそれが今という時間を埋め尽くすためにある。結局のところ不安は少し先のこと見つめている視点であり、不満は少し前のことを思い返している視点のこと。それが今にしかできないことと言ってもいいだろう。
今
だから今にいるということは、不安や不満を生み出すことであるとも言えるね。だからそれでいいわけだ。けれどもそれがあまりに大きすぎて今が辛くなるのならばそれもまた幻想だということにも気づくだろう。少し前と少し後の間であなたが今を生きるとき、それらすべてを忘れるぐらいになればいいと言われたところで、そこからはどうしても逃れることはできない。あなたが選択できることは、少し前の方を優先するか、少し後の方かの2つしかないと思い込んでいるからだね。ところがそれらをかき消すぐらいの今を過ごすいい方法がある。それは不安や不満を味方につけて、それらのためにその対策を全力でやることだ。要するに不安も不満も中途半端に逃げるから苦しくなるのであり、そのどちらでもいいし、なんなら両方でもいいから真正面からその渦中に飛び込んでしまうこと。それが結局のところ穏やかに過ごすことができるわけだ。波が荒い海上を漂う船から飛び降りて、海の中に潜ってしまえばいつもと同じ海中であるのと似ているかもしれないね。