砂場
自由
あなたは何でもしていいという自由を求めている。なぜなら、人生思っていたほど自由が少なく、決められたことややらなければならないことばかりだからだ。だから自由が褒美となってしまって、それ以外は不自由な時間として区別しているわけだ。やりたくもない勉強や、辛くてなんの意味があるのだろうと感じる仕事を抱えて、それが終わったらようやく自由な休日がやってくると思い聞かせてこれまで生きてきたわけだ。だから、人生のほとんどは自由ではなく、不自由だからこそ生きていけると感じてしまう。ところが実はそれは逆で、本当はあなたがどう生きようとも、どう過ごそうとも全くの自由だからこそ、実はそれも可能であるということに気づくだろうか。それが証拠に何もしない休日を過ごしたときに、それがあまりにも自由すぎて何をしていいのかわからなくなった経験があるだろう。あれほど切望していたせっかくのご褒美タイムを無為に過ごしてしまったと後悔しているわけだ。
不自由
不自由だと感じている根本的な原因はあなたがそうしている。あなたが不自由がこれだと決めているから、それ以外を自由として区別している。イヤイヤやっていることを、ちょっとした勇気でやめることはいつでも可能なはずだ。毎日のつらい仕事は生きるために仕方がないと思って我慢しているのも、そういう枠組みを決めたのはほかでもなくあなた自身だ。ならばと転職活動をすることもできるし、誰か親しい人と身を寄せ合ってしばらく暮らしていけないこともないだろう。そんなことをする自由もあるけれども、あなたはそれを選ばないという自由もある。誰かに迷惑をかけてまで生き恥をさらすぐらいなら死んでしまった方がマシだと思っているのもあなたの自由からだし、困ったときはお互いさまと助け合って生きることを選ぶのもあなたの自由だ。実は自由と不自由は明確に定義されたものではなく、あなたがその枠を作っただけだということでしかない。まさにそれもまさに自由自在なわけだよ。
ママゴト
だからこそ夢を持つ自由もある。もちろんそんな絵空事なんてと笑ってしまうのも自由だ。それを語るのも自由だし、それを嘲笑うのも自由だ。実はあなたは完全なる自由の中に生きているからね。でもそれだと何をどうして生きていくのかを容易く見失ってしまう。折角の休日を寝て過ごしてしまうのもそうだ。何かをやろうと思ってそのままこの世を去っていくことになるのもそうだ。あるいはやりたいことだけをやって世間の爪弾きモノになったとしてもそうだ。誰から何を思われようとも自由だし、誰かにチヤホヤされたとしても、それも一時的なものでしかないわけだから、あなたはそこに縛られる必要もない。そうやって何をどうしてもいい流れの中で、あなたは自らの枠組みを生み出しているだけのことだと知れば、自由・不自由ごっこをやめて、枠組みを組み替えていけばいいだけのことだね。