あなたらしさを支えてくれるもの
自分勝手
あなたはどう考えても自分勝手に生きている。そう言われたところで、いやいや、周りに気を遣って生きているのにどうしてそう言われてなければならないんだと反論するだろう。でも事実はあなたの意に反して間違いなくそうだね。もちろん心遣いや気遣いは忘れないし、それによってあなたが本当にやりたいことを我慢して過ごしているかもしれない。でも、それもあなたがあなたのイメージや心象をよくするために取っている秘策であるとも言えるね。あなたがどう考えても不利にならないようにそうしているのだとしたら、やっぱりあなたが一番だということには違いないね。そんなこと言われるのであれば、もう好き勝手に生きてやると心に決めたとしても、実際はそういうわけにはいかないと思いとどまるのも結局のところこれまでのあなたに対するイメージを悪化させるわけにはいかないと決めたからだ。やっぱり悪い人よりも良い人として見られたいという思いがそこにあるわけだ。
有利か不利か
そうすることで、あなたはいざというときに助けてもらえると信じているからそうするわけで、実際はあなたが思っているほど効果がないこともいくつか経験したことだろう。だから真面目に生きるということと、打算的に生きるということの差はそれほどまでにないということも知ることになるね。結局のところ好き勝手に生きているという事実は動かせないわけで、どれほどあなたが心配りに長けていたとしても究極のところあなたが一番だという真実は動かしようもないわけだ。だからもっと素直になって生きる方が楽であるならば、それに特化したほうがいいわけだ。もちろん思いやりとか優しさを捨てなさいという意味ではなく、それを持てる余裕を維持するためにももっとあなた自身を大切にしたほうが、あなたがなりたい自分になることができる余白が増えるということだね。だから、あなたはあなたを一番に思って大切にすることが結局のところあなたが目指す優しさに満ち溢れた人生を送ることができるということだ。
自己犠牲
そういう意味では、自己犠牲とはまやかしだということになる。結局のところ何ら見返りを求めないとしても、そうすることができるのはあなたにはそれだけの器量が備わっているからに過ぎない。その器で誰かを包み込むことができるのならば、ぜひそれを維持できるように作戦を考えることをおすすめするよ。その余白は誰かの救いとなるわけだし、あなたもそのおかげでそうすることができるわけだからね。まさにそれはあなただけが犠牲になって成立するものではなく、お互い様でありおかげさまであるわけだ。ギブアンドテイクで成立するそれらは、日常のすべてにおいて微妙なバランスを保ちつつ成立している。ときにそれが崩れてトラブルになったりするわけだけれども、あなたがとことん嫌っているあの人がいるからこそ、あなたはそれを反面教師として学ぶことができるわけだ。やっぱりどう考えてもあなたは一人ではない。名も知らずすれ違っている多くの人たちや、コンビニでレジ対応してくれたあの人もすべてあなたのために支えてくれているわけだからね。それを感じると自然にあなたはあなたらしく生きられるはずだよ。