もうたくさん
足るを知る
もう働かなくても生きていけるお金があれば、あなたはどうするだろう。もう辟易とした仕事はやめて自由に生きたいと思うだろう。けれどもその金額はどれだけあっても安心することはない。今まさに金欠だったら、数百万円もあれば十分だと思うだろうし、もっと貯蓄がたくさんある人はその上限はあるようで決めかねるだろう。数億円も持っている人はそれがなくなる恐怖がどんどん強くなるだろうし、そんな金額見たこともない人にとっては夢のまた夢だろう。そう、お金とか財産はこれで終わりというところがどんどん遠ざかってしまう傾向にあるわけだ。もちろん生きていくのにそれほどいらないと頭ではわかっていても、今度はそれを管理しなければならないわけだからより苦痛と心配が増えるということだ。だからお金の量があなたの安心材料になると信じているけれども、実際には心配のタネがどんどん増えているとも言えるわけだね。
食料価格
最近は物価が高騰して、いつも食べている食品の値段がどんどん手に届きにくくなっている。そのいずれもがどうしても払うことができない金額ではないものの、ちょっと値札を見て躊躇することが多くなったんじゃないかな。もちろんどうしてもそれを食べないと死んでしまうということではなく、諦めて違うメニューへ変更することでなんとかやりくりしていることだろう。でも今までは気にせずに買えたそれらを、今一度同じように買えるようになってほしいという思いは切実だろう。しかしながらそこでよく考えてみれば、そうやって比較的に安価に手に入る状態こそが特殊であり、いわば僥倖だったということでもあるわけだ。生産者から見れば、すべての経費が値上がりしている昨今において、少しでも高く売れるに越したことはない。そのギャップが一時的に変動することで庶民の味方のように振る舞っているマスコミが騒ぎ立てているからあなたもそう感じているに過ぎないね。なんでも安い世の中は、あなたにとっては心地よくても、生産者側から見れば何かを犠牲にしている状態なんだからね。
お金の価値
結局のところお金がどれだけあっても心配なのは、生活する費用がどんどん上昇する時代においてお金の価値が相対的に下がっているからだ。さらにそれはここまでで十分だという裏打ちが取りにくい。老後資金として2000万円は最低必要だとか喧伝されて、そんなお金がある人はごく一部だと驚愕しているわけだ。そんなないものねだりよりも、今持っているお金を感じることで、それでやりくりできるように生活のレベルを調整することができれば、明日のご飯には困らないだろう。もちろん誰かと比べた贅沢はできないし、毎日ディズニーランドに行くこともできないだろう。でもそれは決して不幸ではないということだ。今できることに幸せを感じることで、余計な心配は起きてから考えることができるようになるわけだ。たくさんあれば幸せという幻想は、おそらく誰かに植え付けられば欲望加速装置だとも言えるね。そんなことよりも少し持っているというだけで、もはや人生勝ち組だと信じるほうが皮肉なことに強かな人生となるのはそういうわけだね。