厳しい現実

日々

現実

現実は厳しいと言われているね。夢物語ではなく、実際にはほとんどの場合思っていた通りにはならないからだ。このことをよく考えてみれば、あなたが頭で思考しているそれは、現実とはかなりの乖離があるということだ。だから思考はそれほど重要ではないということを示唆しているわけだ。もちろん思考をしなくてもいいという意味ではなく、今風に言えばあくまでも仮想実験であり、いかにもそれっぽい結論が出るかもしれないけれども、身も蓋もなくいえばあくまでも幻想であり、希望的観測でしかないということだ。だから思考を楽しむのはいいけれども、あまりにそれにこだわりすぎると思っていたのとは違う結果ばかりでうんざりしてしまうから注意したほうがいいということだ。あなたがこれまでの経験や知恵で空想をしたところで、そのとおりになる確率はかなり低いと言わざるを得ない。それがわかったうえで夢を見るのまでも辞める必要はないのだけれどもね。

理想

現実に対する対義語としては理想という言葉がある。まさにあなたの思いを体現した塊であり、桃源郷のような世界がそこに広がっているね。あなたはそれをできれば実現して現実との差異をなくしたいと考えている。もう言うまでもないけれどもそれが実現した試しはほとんどない。たまにその通りになったりすることもあるから、そこにこだわりを持ってしまうのだけれども、ほとんどの場合それはまぐれでしかないね。あるいはほとんど理想に近い現実なんだけれども、実は多くの場合一番重要な部分だけはそうではない。それでもあなたの仮想世界の中で近しい世界が現れたと思い込んでいるから、もっとそれを拡張したいと考えている。その体験があるからこそ、もっと理想に近づけたいという思いを捨てることができなくなるわけだ。惜しいところまできているからこそ、そう思えてしまうわけだけれども、もはやそれはギャンブル依存症とほとんど変わらないね。

夢を見られる

そうやって、いつもはほとんど理想とは程遠い現実世界が広がっている。だから現実は厳しく、理想は高いままでいるわけだ。それがあなたの生きるチカラとしていわば原動力になっているのなら、楽しんでいるとも言える。ところが、それが苦しみと恨みに変わってしまうのならそこに固執するのは得策ではないね。かといって、それをすべてやめてしまえというのは結論を急いでいることと同じだ。そうではなく、そうやって夢物語を見ていられること自体が幸せなんだと気づくことが一番の結論だということだ。それほどまでに不幸ではなく、また幸せでもないと感じている今こそが、まさに幸せの真っ只中にいることに気づけば、あなたはおそらくニヤリと笑うだろう。現実は厳しいけれどもあなたにしか見られない唯一無二の世界がそこに広がっている。これを幸せと呼ばずに何を幸せと呼べばいいのだろう。あなたはそこに居る。それこそがあなたの夢物語を成立させている根本なのだからね。