観察者
何もしない
あなたはこれまでも、これからも何もしないまま過ぎていく。いやいや、毎日必死に仕事を片付けようと頑張っているし、トラブル対応に追われて遊ぶ暇もないと思っている。けれどもそのどれもこれもみんな自動的にそうなっているだけで、あなたが介入している要素は一ミリもないんだよ。あなたがどう努力しても頑張ったとしてもうまくいくときはうまくいくし、うまくいかないときはそうだろう。結局のところ落ち着くところに落ち着くわけだし、すべてが杞憂であり徒労に終わることばかりじゃないかな。だから、あなたがそうしたいのならば積極的に参加するのも悪くはないけれども、映画館で手に汗を握るようなもので、筋書きは台本通りに進んでいくのが人生の本質だとも言える。主人公になりきって緊迫感を感じたり、絶望を嘆いたりしているのが本質なんだと見抜くことができるかな。
なるようになる
結局のところ、あなたは観客の一人であり見ている風景は映画のスクリーンのようなものだ。同じ映画を見てそれぞれの観点や感想が異なるように、あなたはそれをどう見ているかを決めることができる。それがあなたに課せられた唯一のできることであるわけだ。だからその視点を移動することができれば悲劇の主人公がテーマの映画も喜劇に変えることができる。だからあまりにのめり込むのはかえって不幸になるのはそのせいだね。主人公が成功しなければならないとか、正義の味方でないといけないとか、弱いところが見えてはいけないとか、さらにはかっこよくあらねばならないとか、そういう脚色はすべてあなたに委ねられているわけだね。まぁ、ちょっとぐらいかっこ悪くてもいいじゃない、と思えるかどうかで心の重さも随分と軽くなるだろう。
観察者
あなたは実はあなたではないというのはそういう視点からのことだね。もちろんあなたはスクリーンに映るあなたを同一視しているから、困ったり悩んだり喜んだりすることができる。けれども、実はもうひとりのあなたが確実にあなたをそうやって見ている状態だ。だからどう見られているかとか、体裁や成功にこだわるわけだ。あなたが本来のあなたであればそんな視点を持つことすら困難だ。当事者にとってはそれこそ余裕なんてなく、眼の前の生きるか死ぬかというトラブルになんとか対応して生きながらえているような冒険活劇なんだからね。それをあなたも同じようにドキドキしながら眺めているわけだ。誰かの成功を妬んだり、失敗を嘲笑ったりすることができるのも、当事者のあなた以外のあなたがそれを冷静に見つめることができるからこそだ。さて、観察者のあなたはどこにいるのだろうね。