でかくて重い
大は小を兼ねる
小さくて足りないより、大きいことが小さいことを包摂するっていう言葉で「大は小を兼ねる」っていう言葉があって、とても身近ですっと出てくる。その一方で大きすぎて使えないということわざもあるんだけど、こっちのほうはあまり知られていないような気がする。まぁ、わたしの世代ではあまり喧伝されていなかっただけなんだろう。ひと昔前の戦中を生きた世代は「欲しがりません、勝つまでは」とか「贅沢は敵だ」なんていう言葉がなじみがあったんだろうね。「大は小を兼ねる」の反対のことわざは「薪は楊枝の代わりにならぬ」とかだったかな。「帯に短し襷に長し」なんてのは、ちょうどよいのが一番だとかは今でもよく知られているのかもしれない。いずれにせよ生まれた時代がちょうど「昭和」で「大きいことはいいこと」だなんて言われ続けている時代だった影響もかなり大きい。「令和」の今はどうなんだろう。身の丈に合ったものがちょうどいいという価値観が主流なのかな。
どんどん大きくなる
高度成長時代とか、大量消費社会とか、とにかく消費量でも車やバイクの排気量でもテレビの画面でも冷蔵庫の容量でも大きく大きくしていった時代が確実にあったんだよ。今から思えばおかしな時代。とにかく大きくすることがいいこと。そうして性能も向上していくし、便利になるし、大きなものが普及すれば小さなものが手に入れやすくなって、結局みんなが豊かになっていくというある種の論理がそこにあったんだね。そしてそれを多くの人が受け入れて、みんなで信じていたということ。今から見るとそういう世の中はどう映るんだろうね。無駄で非効率で古臭く見えるのかな。
どんどん小さくなる
時代は振り子のように、「重厚長大」から「軽薄短小」へ踵を返し、「大量生産」から「受注生産」に変わっていった。みんなと同じではなくて、それぞれの個性というかそういう価値が今は重んじられるのかな。サスティナビリティとかエコロジーとかという文脈で省エネルギーで高効率なモノを必要とする分だけで十分というのが主流だね。ちょうどでかくて大きいことはいいことだという旧来の価値観から移りつつある端境期なのかもしれない。エコかどうかは置いといて、小型高性能化が進んだおかげでデジタルネットワーク社会が身近になったのは間違いないね。それでも最近は身近なところでいうと、スマホがどんどん大画面になって、高性能になってバッテリーも大きくなって、重くなってきているような気もするけれど。人の欲望はやっぱりどこかで「大きいことはいいこと」だなんてどこかに潜んでいるのかしら。
技術革新の原動力
技術が進歩して毎年のように新製品が生まれ、こぞって人が買い替えるという仕組みは、欲望加速装置としての「新しいものはいいもの」という神話からきている気がする。あらゆるモノは、もう発売した日から古くなるわけで、そうすると旧式をいつまでも使っているのは、懐古主義かなんかの一部マニアだけで、多くの人はどんどん最新を追いかけるようにメーカーはけしかけている。やっと手に入れたモノもすぐに次の新型が発売される時代だね。結局は振り子のように価値観は大きく揺れているように見えて、実はその両極を欲しがっているんだよね。どっちかではなくて、どっちも手に入れたいわけ。それが究極になると「ミニマリスト」とかになるのかな。手にするモノを最小限にすることで、手にする余白を無限大にしている。何も持たないことが、突き詰めてみればいつでも「必要なモノ」を手にする可能性が最大限になるんだからね。だからすべてを持っているのと同じだから豊かな暮らしを手に入れられるってわけ。手にするモノという「揺り動かされる欲望」に振り回されて生きるのに疲れた人たちがたどり着く安楽の地なんだろうね。なるほど。