てっぺん

日々

まさか

人生には上り坂と下り坂だけではなく、まさかがある、なんてよく言われる言葉があるね。今振り返ってみればあのときまさかそんなことが起こるだなんて夢にも思わなかったことばかりだろう。そして今はどうだろうか。上り坂でもがき苦しんでいるのか、それとも淡々と下っている途中だろうか。いずれにせよどちらかが楽だとか望ましいなんていうものは、あなたがそこでどう感じるかだけで決まっている。上り坂でも頂上の兆しが見えるときは、その苦しさも乗り越えていくぐらいのパワーが出るだろうし、下り坂でもその先に安楽の小屋を見つけたならばウキウキだろう。しかしながらあなたのメガネが曇って前がもやもやしているとしたら、あなたはそれらに気づくこともない。ただただ苦しいのか、楽だけれどもつまらないのか、そんなことがあなたを覆い尽くし続けているだけになる。

展望

そんな前がよく見えない状況のとき、あなたは心の中でおそらくはそうなっているであろう景色を生み出している。その心象風景はあなたがそこで何を考え、何を思っているかですべては決まるわけだ。しかもそれは決して実像ではなく、これまでの経験や知恵からくる空想の世界である。それがある日突然ぱっと霧が晴れて視界が広がったとき、広大な絶景を目の当たりにした。それをあなたは大成功だと感動して見入っている。モヤが晴れて心がウキウキする瞬間だね。それもまさかそこでそんなふうになるだなんて思いも寄らなかったわけだ。そうして今あなたは絶頂の瞬間だと勘違いしてしまう。やがてその景色もぼんやりと見えなくなって、またいつものもやもやが舞い戻ってくることの繰り返しだね。

手応え

それでもあなたはその思い出を胸にいだいて、少しだけ力強く歩を進めることができるようになる。これまでよりもほんの少しだけ歩幅も広くなるだろう。そして霞がかかったあなたが生み出す心の景色も、これまでとはこれまた少しだけ希望というエッセンスが散りばめられたものになるに違いない。そうやってこれまでの人生は歩んできたわけだね。次の絶景はいつ見られるのだろう、そんな思いで歩を進めるのだけれども、やがてそれも期待が外れていくに連れ、また元通りの苦しみもがくいつもの道中となるわけだ。やがてそれは次はもしかしてこないかもしれないという絶望に苛まれて、またいつもの苦しい上り坂となる。でも、少しだけ変化があるのは絶望が本当の絶望ではなく、登っている途中であるという確信をちょっとだけ感じているということだ。そうやってあなたはいつの間にか人生という山道を上り詰めていることには違いないのだからね。