人生の終着駅

日々

奇跡

ありえないことばかり人生には起こるわけで、そういう人生を儚んでいるわけだけれども、逆に言えば常に奇跡に溢れていて、奇跡以外はあなたの人生には起こらないぐらいだね。そんなことが、まさに絶妙なタイミングでこんなことが起こるなんてという連続に翻弄されている毎日だ。で、なんてあなたはついてない不幸な人生だと悲劇の主人公を演じているけれども、それすらありえない条件が全部揃ったからこそのものだ。そう、この世はすべてがミラクルであり、それが証拠に同じように辿ったところで、似たような結果にはなるかもしれないけれども、再現性は極めて乏しい。それなのに、前例主義というか以前比較的うまくいったことにこだわり続けるがあまりに、かえって逆効果になることのほうが多いわけだ。それぐらいもう二度と見られない風景をあなたは毎日のように見ているとすれば、それは紛れもなく奇跡だと断定していいね。

ありがたいこと

だから当たり前だとざっくりとくくって見ているそれらは、実は当たり前でもなんでもなく、すべては唯一無二のことばかりとなる。だからその対処法をあなたの過去の記憶を検索したところで、全く出てこないか、見当外れな方法しか見つからないわけだ。だったらいつものつまらない日常と一括りにしているそれらをよく観察してみるといい。観察には2つの効能があり、ひとつはあなたから離れてもう一人のあなたを出現させること、もう一つはそのあなたがメタ認知によって俯瞰したとき、必然的にあなたという主体から離れたもう一人のあなたから見てそれはどうなのかという視座を得られることだ。普段思考停止して、なんだかつまらない日々を送っているのも、負の連鎖のように起こっては消え、出現したら消滅するというそのリズムそのものがあなたが呼吸していることと同じとも言える。あなたはいつもあなたと同化して同じ立ち位置ですべての判定委員としているとも言えるわけだね。

基本構造

だから、あなたはいつも奇跡にまみれて辟易としているわけだ。人生には絶対的な正しさも悪さもない。いやいや人を殺めてしまうことは絶対悪だろうと思っているけれども、善悪の基準でさえも実はとてもいい加減なあなたの思い込みと感覚によって決められてるだけのことだ。絶対的善を見つけてしまっては、それ以上の何かを生み出すことは不可能だね。そんなことより、それ自身のブレというか余白があなたの人生のそのものだともいえるわけだ。せいぜいあなたが断定できるのは、誰かがそれを良くないことだと言っていることでしかない。それは不幸の始まりとしてとらえるよりも、あなたがいつもそこで幸せを感じられるのならば、それはそれでもはや十分の役割を果たしたことになる。それが紆余曲折で生きてきた人生の終着駅でもあるわけだ。