楽しみはプロセスの中に

日々

楽しむ

楽しむためにはあなたが主体的に挑戦しないと始まらない。それこそ口を開けて誰かが面白いことを与えてくれるのを待っているだけでは、本当の楽しみはそこにはない。それが証拠にそういうものは結局のところいずれ飽きてしまうわけだね。もちろん自ら考案した楽しみもずっと続かないことが多いけれども、その本質は全く違うわけだ。あなたが生み出した楽しみは姿形がどんどん変わっていくだけで、自ら問いを立ててそれに向かって答えを探していくという探求がそこにある。ところがあなたが生み出さない楽しみは、ルールがわかったらそれで終わりだね。そこから先の創意工夫というあなたらしさを創出することは困難だ。さらには与えられた楽しみには必ずゴールというか結果が用意されているものばかりだ。どんな壮大なゲームでもラスボスを倒したらそこでゲームオーバーとなる。

結果にこだわらない

あなたが生み出した楽しみにはそのゴールが永遠と続くわけだ。なぜならどんどんと興味関心の軸が変化し、それによって向き先が変わっていく。その先のなにかを一旦は求めるだろうけれどもその矛先が随時変わっていくわけだからね。もはや最初に思っていたのとは随分と違ったものになることのほうが自然だろう。ところが決められたストーリーや流れに沿って解いていく与えられたゲームにおいては、その選択肢がない。もちろんそれすらも最近では装備されていて、マルチエンディングと呼ばれるそれもあるにはある。けれどもそれはゲームの舞台上の演出であって、そこからは離れることはできないという限界がある。かなり複雑な展開ができるようになってはいるものの、電源の落とせば一旦の終了となるものしかないね。

プロセス

それでもゲームは楽しいだろう。それをやっているひとときはその世界に没頭できるぐらいの素晴らしい出来栄えだからだ。それこそ最高の頭脳の結晶でもある。その多様性と複雑さを徹底的に追求した結果がSNSだね。あらゆる人があらゆる情報を発信しているがゆえに、あなたはそれに飽きる暇もないわけだ。そう、人生はゲームだと言っても過言ではない。けれどもゲームの中と現実とのギャップはその先があるかどうかだ。ゲームで大失敗したとしてもリセットしたりやり直したらいい。SNSなら一旦アカウントを消せばなんとかなるかもしれない。まぁ最近ではそれも無力になりつつあるので、ある意味SNSは人生にかなり近しいものだから取り扱い注意だ。しかしながらゲームであっても人生であったもそのアナロジーとして抽出できるとすれば、プロセスこそ楽しさにあふれているということに気がつくだろう。あなたの本質は結果ではなく、プロセスそのものだということだね。