今に夢中

日々

合理主義

仕事においては、無駄を省いて効率的にしようとする世の中になって久しいね。仕事は簡単にかつさっさと終わらせて残りの時間を楽しみに使いたいと思う気持ちは自然なことだろう。でもその合理化がかえって余った時間に対して新たなミッションを課せられてしまうのなら、ちょっとはサボらせろと思うだろうね。人の生きざまに生産性という新たな苦難を与えられて多くの人は辟易としているわけだ。無駄なことはいつの間にか悪となり、それをできるだけ減らそうとする合理化にも心の奥底では賛成できかねるという状況において、あなたはまさに八方塞がりな気分となっている。生きるために仕事をしなければどうにもならないと思い込むことで、イヤイヤながらもそれを金科玉条としていつの間にか受け入れているからね。

厳しさ

だから、楽々と過ごしてなんの苦難を示さない他人を攻撃したくなるわけだ。その瞬間にあなたは合理化の神様となって、あなたの正論をそこにぶつけている。それが正義であり、間違いや悪は正すべきだと信じているからね。ところがそんなあなたは他人のことばかりが気になって、あなた自身を楽しめていないわけだ。いくら誰かを攻撃したところであなたは満足を得られないのは、あなた自身がそれを言えば言うほど雁字搦めになってしまって身動きがとれなくなるという弊害がそこにあるからだね。無駄を楽しめないのは、未来や結果を思い通りにしなければならないという固定観念からきている。言い換えれば完璧主義や完全主義と言われるものだ。なんでもかんでも楽ちんにしてしまって、そこそこの出来栄えである人に対して、それならもっとできるだろうとさらにムチを入れるのが愛情だと勘違いするのは根本がそうだからだね。

今を楽しむ

結果を求めるのは、それこそ人生そのものの総括というか結論を急ぎすぎている。今そんなことしている場合じゃないだろうとあなたはイライラしている。そしてさらには他人に厳しいあまりにあなた自身にも降り掛かってきているわけだ。それがあなたの苦難の正体だね。だからそんなものを手放して、今できることをとことんやればいい。それがもしかして無駄になってしまうかもしれないなんて頭によぎったら途端に面白くなくなってしまうだろう。そんな隙もないぐらいに夢中になって今を楽しむことが、皮肉なことに人生何があっても楽しむことができる魔法を手にしたことになるわけだ。いやそんな大げさなことではなく、何があっても笑っている赤子を見れば、かつてのあなたもそうだったわけだね。今を楽しむことの積み重ねが人生そのものを楽しむことであり、あなたはもともとそうだったんだよ。